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異質だからといって排除していいわけではない|問題児童らを隔離、「特別教室」で指導へ 大阪市教委案:朝日新聞デジタル

問題児童らを隔離、「特別教室」で指導へ 大阪市教委案:朝日新聞デジタル

はじめは、不良漫画やドラマに出てくる、いわゆる「落ちこぼれ学級」みたいなものを想像して、なんか現実離れした施策だなと思いました。

一定レベルを超える悪質な問題行動を繰り返す児童・生徒を在籍する市立学校から引き離し、1カ所に集めて指導する「特別教室」を新たに設ける。 

なるほど。つまり、隔離するってことになるのかな。そういう言い方をすると心象はよくないけど、もしかしたら問題児だとされている生徒にとっては悪いことではないのかもしれない。

いわゆる問題児童って、つまり周囲にとっては「異質な存在」だから、「個性」や「キャラクター」で許される範囲を超えてしまうと、学校っていう社会の中では抑圧されてしまうもの。

でも人は(特に思春期のときは)押さえつけられたら大抵の場合反抗したくなる。そしてまた非行に走るという悪循環があるのではないかと思う。だから、その負のサイクルから抜け出すために、環境を変えてみるというのはアリかもしれない。

私の大好きな『プレシャス』という映画に、「普通の」ハイスクールでは疎外感に打ちのめされていた主人公が、同じように周囲に馴染めなかった若者たちが集う「特別教室」に通うことで、人生に希望を見出すという描写があります。

もちろん映画と現実は違うし、置かれている状況もまったく異なるので、だからこの施策も必ずしもうまくいくとは思いません。

ただ、周囲と違うものを無理やり「みんなと同じ」にしようとするよりは、よっぽど健全な気がするのも事実です。

 特別教室には、問題行動の対応に豊富な経験や心理学など専門的知識がある教職員らを配置。社会や学校でのルールの大切さを教え、他者を思いやる態度を育てることに重点を置く。

 これに関しては、心理学の専門知識がどこまで役に立つかはわからないし、学校の道徳の時間と同じアプローチしかできないなら、あんまり意味がないように思います。

ただ、「自分のことを知らない人と出会う」っていうのは、自分を見つめ直す機会にもなっていいのかなと。

 

ただちょっと思うのは、この施策は排除される問題児より、その周りの生徒への影響が大きいのではないかということ。「異質なもの」は排除されていいんだとインプットされてしまいそうだから。

しかもそれを公的に行っていいときたら、勘違いしてしまう生徒もいるんじゃないのかなと。

なにかと話題の大阪だし、かなり議論になりそうな問題ですね。やってみる価値はあるかもしれないけど、最善策とは言えない気がします。