サンタさんへの手紙にパパとママの悪口をびっしり書いて送った話
私もとうとう、クリスマスに心躍らない大人になってしまった。
悲しい。とても悲しい……。
せめてもの慰みにコンビニで買ったチキンを食べてたら、ふと、小学生のころサンタさんに宛てて書いた手紙について思い出した。
喉から手が出るほどほしかったケータイ
小学校の高学年になると、周りの同級生たちがこぞってケータイを持ちだした。
うらやましい、というか妬ましかったし、仕切りたがりで目立ちたがりだった私は、自分がケータイを持っていないことに焦りを感じていた。
さらに、女子コミュニティのおそろしいところで、みんなが持っているものを持っていないことは、それだけで仲間はずれの理由になるのだ。
このままじゃハブられる……!
私は両親に毎日のようにケータイをねだった。ケータイ、ケータイ、ケータイ。寝ても覚めてもケータイのことばかり考えていたので、ことあるごとに「ケータイ買って」って言ってた。
そして、どんなにしつこくねだっても買ってくれないのがうちの親である。
よく驚かれるけれど、うちの親はけっこう厳しい。小学生のころ、私は漫画を読むことを禁止されていたほどだ。
そうだ、サンタさんに頼めばいいんだ!
「ケータイカッテ」がまるで呪文のようになってきたころ、「そうだ、サンタさんに頼めばいいんだ!」と思いついた。
べつに、クリスマスが迫っていたわけではなかったけれど、うちの親を説得するより、サンタさんに頼んだほうが、ずっと確実だと思ったのだ。
ただ、子どもの味方であるサンタさんとはいえ「ケータイは子どもにはまだ早いじゃろ」と言われてしまう懸念があった。
そこで自分がケータイを持っていないことでどれだけ辛い思いをしているのかを伝えるために、手紙を書くことにした。
何度も何度も書き直しと推敲を重ねて、クリスマス前にはけっこうな大作になっていた。
その内容は、同級生の女子のなかで一番最初にケータイを手に入れたリーダー格の子がいかにおそろしいかということや、ケータイを持っていないことで自分がハブられる危機に瀕しているということ。
それから、自分の両親の悪口である。
全体の分量は、こちらの方が断然多かった。私がサンタさんに送ろうと思っていた手紙にはパパとママの悪口がびっしり書かれていた。
ケータイを買ってくれない両親はわたしがハブられてもいいんだとか、父も母も妹ばかりかまって私を愛していないんだとか、とにかく自己愛をこじらせた悲劇のヒロインエピソードを書き連ねた。
さすがに詳細は覚えていないけれど、けっこうひどいことを書いたと思う。私はサンタさんに同情してほしかったのだ。
そうすれば優しいサンタさんは私の願いを聞いて、ケータイをプレゼントしてくれるはずだと思った。
書き上げた手紙は、パパとママに見られないようにツリーの下に隠した。うちはサンタさんへの手紙はツリーの下に置くシステムだった。私のなかでは、そうすれば、手紙の内容がサンタさんに伝わるということになっていた。
サンタさんはどこまでもファンタジーなのである。
サンタさんのセンスが違うのはなぜか
クリスマスが目前に迫ると、校内はサンタさんの話題でもちきりだ。
みんなで話していると、今年は何を頼んだかはもちろん、これまでもらってきたプレゼントについても話が及ぶ。
毎年ゲームをもらっている子もいれば、本やら辞書やらのお勉強アイテムばかりもらっている子、ルーズソックスや厚底シューズなんて小学生らしからぬものをもらったという子もいた。
それぞれまったく違うラインナップに「サンタさんはさすがだな」なんて感心していた私に、となりのユキちゃんがこそっと耳打ちした。
「さすがミナのママだね」
「ん?」と思った。ママ?
ミナとは、サンタさんにルーズソックスや厚底シューズをもらったという子だ。 そしてミナのママは、ヤンママと揶揄されるほど派手な見た目をしていた。
ユキちゃんは、周りの子よりずっと大人びている子だった。すでに眉毛はキレイに整っていたし、唇はグロスでツヤツヤしていた。
子どもっぽくて、眉毛のかたちを整えるなんて発想すらなかった私は、ユキちゃんに憧れていて、いつもくっついて歩いていた。
ユキちゃんは、すでにサンタさんの真実を知っていたのだろう。
そして、ユキちゃんに憧れて、大人っぽく振舞っている私も、サンタさんの真実を知るひとりだと思われたのだ。
だから、秘密を共有するように私だけにこっそり話しかけたんだろう。
でも、私はこのときまで、サンタの存在をまったく疑ったことがなかった。いや、もしかしたら少し疑念はあったのかもしれない。でも、半信半疑にも満たない、小指の先ほどのものだ。
それが、ユキちゃんのひと言をきっかけに「サンタさん=パパとママ」という疑念がむくむくと膨らんでいった。
サンタさんはいるのか、人知れず始まった実証
家に帰ってツリーを確認すると、私の手紙はまだそこにあった。
もし、本当にサンタさんがいなかったら……?
この手紙をパパとママに読まれたらまずいんじゃないか。
というか、本当にサンタさんがいないなら、ケータイなんてねだるだけムダだ。
でも、でも、でも……。
まだサンタさんの存在を完全に信じていないわけではなかった。半信半疑だったと思う。
サンタさんは本当にいるのか、いないのか……。
私は人知れず実証してみることにした。
手紙はこのまま置いておく。クリスマスの朝、ケータイがあったらサンタさんはいる、なかったらサンタさんはいない……。
その年のクリスマスイヴはいつも以上にドキドキしながら眠りについた。
サンタさんの正体
クリスマスの朝、目が覚めるとすぐ足元を確認する。うちは枕元ではなく、足元にプレゼントが置かれているスタイルだったのだ。
そこにあったプレゼントが、ケータイではないことは明らかだった。あまりにも薄すぎるのだ。
その瞬間すべてを悟った。サンタさんの真実を知ってしまった瞬間だった。
ケータイの代わりは、浜崎あゆみのベストアルバムだった。これはこれでうれしかったけれど、なんだか複雑な気持ちだった。
そして、プレゼントと一緒にサンタさんから手紙の返事も届いていた。
便箋5枚という超大作を送ったにもかかわらず、その返事はたったふた言。
「メリークリスマス。君のパパとママはいつでも君の味方でいてくれるよ」
その筆跡はまぎれもなくママのものだった。振り返ってみれば、これまでもらったサンタさんの手紙の文字は、すべてママのそれにそっくりだ。
サンタさんの正体に気付いたとき、ひどい罪悪感に襲われた。
あんな手紙書かなきゃよかった。
「プレゼントなんだった?」
「あゆのアルバム。超うれしい!」
本当はそこまでうれしくなかったけど、せめてもの償いにすごくよろこんでいるフリをした。
あの手紙を読んで、ママはきっと泣いただろうな。
今にして思うと、切ないような、申し訳ないような、なんともいえない気持ちになる。
あ、ちなみに今年は洗濯乾燥機がほしいです、サンタさん。
だからお前はブスなんだって4年越しに言ってやりたい
鼻にヒアルロン酸を入れてきた。
鏡を見るたびに「わー、鼻がある……!」と感動し続けている。
ずっと、自分の鼻が嫌いだった。
横顔を見られるのが本当にイヤで、人が真横に立っているとすごくストレスを感じていた。
でも、施術を受けてから自分の横顔を見るのが楽しくて仕方ない。
なんてったって、ずーっと「ここに鼻筋があったらどんなにいいか……」と思っていたその場所に、鼻筋ができたのだから。
施術を受けるのはほぼ勢いで決まったんだけど、内心すごく葛藤した。
ずっと「整形したい」と思ってはいたけど、いざ本当にやるとなると、顔を変えたら急に何かがおかしくなってしまうような気がした。
とはいえ、いまは本当にやってよかったと思ってる。それから、ヒアルロン酸が身体に吸収されたら、また入れにいくとすでに決めている。
正直、けっこう痛かったんだけど、そんなの余裕で我慢できるくらい、施術をしてからの幸福感がやばいのだ。
美容整形の"ハードル"は年々下がってきているらしい。実際にやってみた身として思うのは、それはたぶんいいことだということ。
鏡を見る時間が楽しくなるだけで、トータル1日1時間くらい明るい気持ちになれる。
1週間なら7時間、1か月なら30時間。閉塞感漂う世の中で、それってけっこうすごいことじゃなかろうか。
大学生のころ私は毎日、"自分史上最高可愛い"を更新するのに躍起になっていた。
バイト代はすべて、洋服と化粧品、月1回の美容院と2週間に1回のまつエクに消えた。
食費をまかなうほどのお金がなくて、実家の冷蔵庫から冷凍の今川焼をくすねて食べていた。
そんな生活をしていたとき、大学の同期の女の子に嫌味を言われたことがある。
裏でもすごい悪口を言われていたと、共通の友だちがわざわざ教えてくれた。
私は、自分の外見のために時間やお金を使うことを、別に普通のことだと思っていた。
でもそれは「実家暮らしのお嬢様はいいよね」という嫌味や、「あいつは金が湯水のように湧いてくると思ってる」という陰口をたたかれることだったらしい。
そのとき、他人のキレイになりたいという努力を否定するなんて「だからお前はブスなんだ」って言ってやりたかったけど、もしかしたら私が間違っているのかもしれないと、なんだ自信がなくなったのを覚えている。
そのあと、なんとなく「時間とお金をかけてキレイになろうとすること=悪」みたいな感覚が少し芽生えた。実は、彼女に言われたことがけっこう心にぐさっときていた。
それから4年近くたって、「美容整形を受ける」という事実を前にしたとき、このことを鮮明に思い出した。
いま、彼女とはぜんぜん連絡をとっていないけど、周りの人はもしかしたらみんな彼女と同じ反応をするかもしれない。
1番心配なのは彼氏の反応だった。整形した女なんてイヤだって振られるんじゃないか。
先生に「ヒアルロン酸入れてきますか?」って言われて、「はい!」と答えるまでたぶん1秒もかからなかったけど、頭のなかでは一瞬のうちにものすっごい葛藤を繰り広げてたわけだ。
結局「いい記事書くためには、自分の身体で感じなきゃ」という職業人的判断でやってもらった。
でも、何度も言うけど、ひとりの女性としても、本当にやってよかったと思う。
というかやっぱり、キレイになるためにやる努力のひとつだもん。いま考えると何を迷っていたのかわからない。
もちろん、リスクもたくさんあるので、どんどん整形しちゃえよって無責任なことは言えない。
でも、自分がやりたいと思うなら、周りの目はぜんぜん気にしなくていいと思う。
後ろめたいと思うことはなにもない。男でも女でも、美しくなりたいってたぶん自然な欲求だ。
それを確信できたいまだから、改めてあのときの彼女に言いたい。
人の努力を否定することしかできない、だからお前はいつまでたってもブスなんだって。
「ここまでやるか」って女に私はなりたい|映画『ゴーン・ガール』
※ ネタバレあり
今さらながら『ゴーン・ガール』を観た。
基本的にあんまり洋画好きじゃないんだけど、
かれこれ6年以上の付き合いになる、わたしの数少ない友達「おのさん」が、「『ゴーン・ガール』に出てくる奥さんがせなどすに似とる」って言うからこれは観ないわけにはいかないぞと。
さっそくTSUTAYAで借りました。
ストーリー構成が神
で、観終わった感想ですが、もうね、すごい。
何がすごいって、あっと驚くようなストーリー構成。
思いっきりのめり込んでしまった。
おおまかなあらすじは......
ニックとエイミーは誰もがうらやむ幸せな夫婦。しかし、結婚5周年の記念日、エイミーが謎の失踪を遂げる。ふたりの過去がどんどん暴かれていくとともに、ニックは妻殺しの疑いをかけられる。
というもの。
物語の前半は、主人公であるはずの夫、ニックへの敵意と不信感がどんどん募っていくように作られています。
出会って、付き合って、結婚するまで、彼は完璧な恋人だった。愛にあふれてるし、いつも守ってくれる王子様みたいな。
それなのに!
結婚してしばらく経つと、仕事をクビになるわ、若い女と浮気をするわ、もう散々。
しかも、エリートでシティガールのエイミーを、自分の地元の片田舎に連れて帰っておいて。
女のわたしからすると「エイミーがかわいそう。こんな男捨てられて当然」という感じ。
映画のなかでも、周囲のニックに対する評判は最悪で、妻殺しの疑いまでかけられてしまいます。
随所に散りばめられた過去の回想は、エイミーの日記を彼女が読んでいる設定。だから、観ている方は主人公のニックよりエイミーに感情移入するはず。
もはや、主人公はエイミーで、ニックこそが諸悪の根源。エイミーは失踪したんじゃなくて、ニックに殺された。
それがこの物語の真実......と信じきったところで大どんでん返しが待っていたんです。
大どんでん返しに引き込まれる
なんと、エイミーは生きていました。
ここからがこの映画の真骨頂。物語が一気に逆転していくのが最高にスリリングでおもしろい。
この失踪劇は、自分をないがしろにしたニックへの復讐として、彼を殺人犯に仕立て上げようとした、エイミーによる自作自演の狂言。
しかも物語の舞台、ミズーリ州には死刑制度がある......。
エイミーは自分の夫を合法的に殺すため、ニックに容疑がかかるように完璧な偽装工作をしていました。
その偽装工作がもうほんと狂気的。
妊娠を偽装するために、近所の妊婦の尿を採取したり、ニックに殺人容疑がかかるよう、自分の血を抜いて床にまいたり......。
前半で感情移入していたはずのエイミーがどんどん遠い存在になっていって、最終的には「この女、怖すぎる......」に変わってる。
ついさっきまで憎んでいたニックがとても気の毒に思えてきます。
この映画のすごいところはまさにこの振り幅。最低のダメ男だったニックが、気の毒な一市民に変わり、かわいそうなエミリーが、狂気的な恐ろしい女に変わる......。
自分の感情がこんなに大幅にかき乱されることってそうない。久しぶりに本当におもしろい映画を観たって感じでした。
「ここまでやるか」って女になりたい
狂気的な完璧主義者エイミーに「ここまでやる!?」とドン引きしてしまったのは事実。
でも同時に、なんだかちょっと憧れのようなものを感じてしまった。
「私の人生は完璧でなければいけない」っていう強い信念みたいなものが、行き過ぎてて怖いんだけど、どこかカッコよく思えた。
自分の人生は自分だけのものだもの。自分の好きなように演出しなくちゃ。
何事も「ここまでやるか」ってくらい突き詰められる女になりたいと、すっかり感化されてしまいました。
沖縄旅行備忘録
先日、夏休みをとって沖縄に行ってきました。
3年前とまったく同じメンツで、まったく同じホテルに泊まるという省エネプラン。
ホテルは、目と鼻の先に海があって、歩いてビーチに出られるという最高の立地です。
バーベキューとかフェスとか、山のイベントは大嫌いな私ですが、海で遊ぶのはけっこう好き。もちろん、入っても身体がベタベタしないキレイな海に限るけど。
前回、バナナボートに乗ったのがとても楽しかったので、今回はさらにアクティビティを追加。
スーパーマーブルという丸いやつに乗ったり、シュノーケリングに挑戦したりしました。
スーパーマーブルはバナナボートと同じように水上バイクに引っ張ってもらいます。これが、とてつもなく恐ろしい乗り物で、カーブしたり波に乗り上げたりするたびにおしりがめっちゃ浮くんです。
ライフジャケットを着てるとはいえ、沖の方までいくと「ここで投げ出されたらやばい」と本能が言ってました。もう無我夢中で必死にしがみついたよね。
とはいえ、海とか空とか、だだっ広い空間のなかをワーキャー言いながら駆け抜けていくのは、爽快感たっぷり。
あ、これいま完全にリフレッシュされてるなって実感できました。
そして、なにより楽しかったのがシュノーケリング。
カラフルな魚をたくさん見ました。海のなかはすごく静かで、時間がゆっくり流れてるような気がした。ヒーリング効果すごい。
夢中になってのぞきこんでたら、鼻と口に海水がグゴゴゴゴッて入ってきて人知れず溺れかけたけど、ぜんぜんへっちゃらってくらい魅了されてた。
これまで、わざわざダイビングのライセンスなんてとっちゃう人に対して「意味わからん」って思ってたけど、初めて納得。これははまるね。
それから、プールにぷかぷか浮かんでるだけの時間も癒しのひととき。いい天気だったので、身体いっぱいに陽の光を浴びて、こんがり焼けました 。
夜は、部屋でトランプ祭り。大富豪とセブンブリッジをやった。
いつも思うんだけど、トランプってどうやったら強くなるの? 負けすぎると地味に落ち込む。
水のなかにいた時間が長いと、夜眠るとき、身体がゆらゆら水面に揺られてるような錯覚におちいる。あの感覚がとても好きです。
人は水と触れ合うと、心が癒されるんでしょう。
忙しい日々に荒んでいた心がすっかり洗われた旅行でした。
とはいえ、心の浄化と身体の回復はまったくリンクしていないようです。
間違いなく心はリフレッシュされたけど、帰ってきてからの一週間は本当にキツかった。
のんびりできたとはいえ、海にプールに飛行機に、確実に体力は使っていたので、実際のところ休みがないのと同じでした。
これからは、帰って来た次の日から仕事なんか絶対にしない。ちゃんともう一日休む。
どうせ、大寝坊して半休とるはめになるんだから。
とりあえず、 一番言いたかったのはこれです。
寝坊してすみませんでした。
仮面ライダーの中身が女の子になる日も近いかもーー『美男高校地球防衛部LOVE!』に見るジェンダーフリー
出典:TVアニメ「美男高校地球防衛部LOVE!」PV第1弾 - YouTube
昨日(正確にはおととい)最終回を迎えたアニメ『美男高校地球防衛部LOVE!』。
これこそ時代を反映した良作ですよ。企画した人に拍手を贈りたい。
男子版『セーラームーン』
20周年を迎えて何かと話題となっている『セーラムーン』シリーズを筆頭とした、「魔女っ子アニメ」というジャンルがあります。
なかでも、わたしもどハマりしていた『セーラームーン』とか、いまだに新シリーズが作られ続けている『プリキュア』とかは「変身魔法少女アニメ」というくくりらしい。
普通の女の子が、不思議な力で悪と戦う戦士に変身して、地球の平和を守るというやつです。
冒頭に言及した『美男高校地球防衛部LOVE!』がすごいのは、この設定をまるっとそのまま男子高生に投影しているところ。いうなれば、男子版の『セーラームーン』というわけです。
重装備のヒーローとミニスカ&ハイヒールの美少女戦士
もちろんこれまでも、悪と戦って地球を守っているのは、女の子だけではありませんでした。
仮面ライダーしかり、ウルトラマンしかり。男の子のなかにも、変身して悪と戦うヒーローはたくさんいます。
でもちょっと注目してみてほしいのが、男の子の変身ヒーローは、たいてい覆面をかぶっているというところ。
仮面ライダーもウルトラマンも、顔も身体も完全に覆われていて、中身が誰だかわかりません。あとなんか、すごく衝撃を吸収してくれそう。
一方、変身魔法少女たちは、いかにも戦いにくそうなミニスカートだったりハイヒールだったり、かなりビジュアル重視。しかも完全に顔をさらしてる。
そもそも女子の方が肉体的な戦闘力は低いはずなのに、男子の方が重装備というのはなんだかおかしな気がします。
やっぱり美少女には、苦痛にゆがむ表情とか、傷ついた生足とか、見えそうで見えないちらリズムとか、そういうものが求められているんでしょうね。
同じ女の私だって、セーラームーンが仮面ライダーみたいな特殊なスーツで前身覆って出てきたら「あれ?」ってなる。
つまり、同じ役割を担っていても、男と女で求められるものは違うんです。
こういうのがまさしくジェンダーというものなんだなと感じて、ちょっと複雑。
仮面ライダーの中身が女の子になったっていい
でもだからこそ『美男高校地球防衛部LOVE!』はすごい。
これまで女に求められてきたことを、ぜんぶそのまま男にやらせているから。
まさに、ジェンダーフリーを体現したアニメだと思います。
男も女も関係ない、好きなように生きればいいじゃん。そんなメッセージを感じて、すこし勇気づけられた気がします。(制作者にそんな意図はないんだろうけど)
仮面ライダーの中身が女の子になったって別にいいし、むしろその方がきっとおもしろい。
男だからとか、女だからとか、そういう社会的な性差なんかどうでもいいじゃんって言える世の中になるといいなと思います。
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依存って言わないで、趣味って言って!
「恋愛依存」って言葉を聞くとギクリとする。
彼に会えそうなときは全て予定を空けておく人、注目! 恋愛依存チェックリスト |AM
チェックしなくてもわかるけど、わたしはまさに「恋愛依存」です。
□彼氏の会えそうな時は全て予定を空けておいてしまう
□彼氏が会えるという日は、予定をキャンセルしてしまうことが多い
□友達より彼氏優先にすることが多い「AM」より引用
この辺はもはや当たり前。みんなそうじゃないことの方が驚き。
恋愛を何よりも優先すると、なぜか「依存」だと言われて、病人みたいな扱いを受ける。
でも、恋愛が最優先!っていうの、おかしなことなのかなー?
だってわたしにしてみれば、恋愛にまつわるいろいろが人生のなかで一番楽しいし。
アルコールとかタバコとか、実際に身体に悪影響があるならわかるけど、恋愛ってはたして「依存」って表現するものなのか。
「精神に悪い!」っていうなら、仕事の方がよっぽどだし。
わたしのなかでは「楽しいこと=趣味」という認識があるので、いつも自分にとって恋愛は趣味なのだと思っています。
自分にとって楽しいことなら最優先しても問題ないよね?
だから、いわゆる「恋愛依存」の人は「わたし、恋愛に依存してる。どうしよう」って悩むんじゃなくて、「だって恋愛が趣味なんだもーん!」って思ってた方が絶対いいよ。
女子はなんでもかんでも「カワイイ」というけれど
「女はなんでもかんでも『カワイイ』と言う」というのは、「はい、そうですね」と認めざるをえません。自分でも「これは本当に『カワイイ』という表現で合っているのか」と疑問に思いながら使うことがあります。
でも、そこに言葉のおもしろさを感じていたりもするのです。
「カワイイ」=生存戦略
本来「可愛い」という言葉は「小さくて愛らしい」ことや「同情を誘うばかりにかわいそう」(『岩波国語辞典』より引用)なことを表す言葉です。でも今、わたしたちが使う「カワイイ」という言葉は、本来の意味のほかに「オシャレ」や「キレイ」、「似合う」などたくさんの意味を持っています。もはや「おいしそう」という意味まで含まれているかもしれません。
それを「バカだ」という人もいますが、これには女子特有の理由があるように思います。
24年間、女をやり続けて実感していますが、「女性は共感を求める生き物だ」というのは真実だとおもいます。(その理由については、まだ考えあぐねていますが。)
そして、仲間どうしで共感するために便利なワードが「カワイイ」という言葉なのです。
当たり前のことですが、まったく同じものを見たとしても、それを表現する言葉は人それぞれ違います。それは、感性の違いはもちろん、ボキャブラリーの数にも個人差があるからです。
だから、自分の頭のなかに浮かんだ言葉をそのまま口に出すと、その場にいる全員が同じことを言う確立はかなり低いです。最悪なのは、自分ひとりだけ違うことを言ってしまったとき。血の気が引きますね。
そこで、全員が同じ表現をするために、汎用性の高い言葉が必要になります。そしてそれが「カワイイ」という言葉なのです。
女はバカだから、なんでもかんでも「カワイイ」というわけではありません。女子の世界で「うまくやる」ための、いうなれば生存戦略なわけです。なかにはただのボキャ貧もいますけどね。
個人的にはそんなことを気にするのはくだらないことだと思います。「みんなちがって、みんないい」のです。でも、女子校で過ごした6年間、わたしがうまく周りに馴染めなかったのは、そこに原因があったのかもしれません......。(涙目)
「カワイイ」=「あはれなり」
そんなわたしも最近は、けっこうなんでも「カワイイ」ですましてしまうことが多いです。それはもちろん、大人になって少し丸くなったということもありますが、汎用性の高い言葉を使うのは、もしかしたら日本の伝統なのかもしれないと思ったからです。
古文の授業を思い出してみてください。「あはれ」という言葉をよく耳にしたと思います。
この「あはれ」という言葉は「しみじみとした趣がある」「かわいい」「もの悲しい」(『土屋の古文単語222』より引用)などたくさんの意味を持っています。だから、同じ「あはれ」でも意味は文脈によって変わってくるのです。
ほかにも「をかし」や「いみじ」など、古文単語のなかには多義語がたくさんあります。「いみじ」なんて「たいそうすばらしい」「たいそうひどい」(『土屋の古文単語222』より引用)というまったく逆の意味を持っていますからね。だから個人的に「ヤバい」という言葉は「いみじ」の進化系だと思っています。
わたしは古文の授業が大好きだったのですが、その理由のひとつがこの多義語の多さでした。ひとつの言葉なのに、たくさんの違う意味をもっている。だから、文脈や行間から意味を推測しなければならない。それを考えるプロセスがとても楽しかったのです。
だから「カワイイ」は「あはれ」と同じかもしれないと思ったとき、なんでもかんでも「カワイイ」と言うことに、あまり抵抗がなくなりました。「今の『カワイイ』はどういう意味で使われたんだろう」と考えるのもけっこう楽しいです。
でも、コミュニケーションのために「カワイイ」という言葉を使うのではなく、なんでもかんでも「可愛い」と思ってしまうようになるのはご免です。そのためにも「カワイイ」を使うときは、その意味をしっかり考えようと思っています。