文章を書いて、飯を食うということ
私は、文章を書いて飯を食っている。
漠然と描いてきた将来の夢のなかのひとつが、なんとなく叶った感じだ。
私はこの仕事が好きだし、たぶん天職だと思う。なぜなら、なまけ者で面倒くさがりな私が、とくに努力せずに他人より優れた結果を出せるのは、文章を書くことだけだから。
なんだか向上心がないように感じるかもしれないけど、けっしてそういうわけではない。
やっぱり仕事として選ぶなら、頑張らなくても、たとえ手を抜いても、必ず80点は取れるっていうものにした方がいいと思う。
それが自分のためでも、周りのためでもあるから。
そんなことを考えているなかで最近気付いたのが、文章を書いて飯を食うのって、思っていたよりぜんぜん"普通"のことだってこと。
ぜんぜん詩的でもないし、情緒的でもない。淡々と、そして粛々とこなす感じ。でも仕事ってえてしてそういうものだ。
だから、文章を書くことが自己表現の唯一の手段になっている人は、文章を書いて飯を食おうとは思わない方がいいと思う。よっぽどの有名人か恐ろしく文才がないかぎり、自己表現のイタい文章で金はとれない。
自己表現の文章は、ブログやらSNSやらで垂れ流しておけばいいのであって、どこかからお金もらって掲載するようなものじゃない。もちろん、エッセイみたいにむしろそれを書いてほしい場合もあるけど、そういうときは、ちゃんとそう言って発注する。
たいていの人は、自意識の有り無しを使い分けできると思うのだけど、たまに頼んでもないのに、自意識でベタベタの文章を書いてくる人がいる。
そんなときは、容赦なく真っ赤にして戻すか、ほぼ書き直しってくらい校正入れる。何度心のなかで「ブログじゃないんだけどな」と思ったことか。
私もまだペーペーだから、偉そうに何言ってんだって感じだけど、文章を書いて飯を食いたいって思ってるなら、いったん自意識を手放して書いてみるべきだと思う。
もちろん、自己表現の文章だけで食っていける人もいる。でも、何度も言うけど、そういう人は、ずば抜けた文才や表現力があるか、もともと有名人かどっちかだ。
だから、文章を書いて飯を食いたいならまず、自意識をとっぱらって書いてみるべきだ。編集者やライターになりたいっていう人はとくに。
紙でもWebでも、メディアに載せる文章は、ちゃんと読者の方を向いていなければならない。どんなに素晴らしい文章でも、読まれなければ金にはならないから。自意識は、スパイス的に"きかせる"ために使えばいいのだ。
自意識でベタベタの文章ばっかり書いてると、絶対そこを見失う。ただの自己満足の文章では、ビジネスはできない。ビジネスとして金を取れない限り、文章を書いて飯を食うのは無理だ。
お金なんかいらない、読んでくれる人がいなくてもいい、自分が書きたいものだけ書きたい、そういう考え方があってもいいと思う。
でも金がとれなきゃ、プロにはなれない。結局それは、どこまでいっても単なる趣味でしかない。
私は、ものを書くプロでいたいから、今日も明日も書き続ける。
自意識を手放して、淡々と、粛々と。