せなどすブログ

どうでもいいことしか書いてありません。

仮面ライダーの中身が女の子になる日も近いかもーー『美男高校地球防衛部LOVE!』に見るジェンダーフリー

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出典:TVアニメ「美男高校地球防衛部LOVE!」PV第1弾 - YouTube

昨日(正確にはおととい)最終回を迎えたアニメ美男高校地球防衛部LOVE!
これこそ時代を反映した良作ですよ。企画した人に拍手を贈りたい。

男子版『セーラームーン

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20周年を迎えて何かと話題となっている『セーラムーン』シリーズを筆頭とした、「魔女っ子アニメ」というジャンルがあります。

なかでも、わたしもどハマりしていた『セーラームーン』とか、いまだに新シリーズが作られ続けている『プリキュア』とかは「変身魔法少女アニメ」というくくりらしい。

普通の女の子が、不思議な力で悪と戦う戦士に変身して、地球の平和を守るというやつです。

冒頭に言及した『美男高校地球防衛部LOVE!』がすごいのは、この設定をまるっとそのまま男子高生に投影しているところ。いうなれば、男子版の『セーラームーン』というわけです。

重装備のヒーローとミニスカ&ハイヒールの美少女戦士

もちろんこれまでも、悪と戦って地球を守っているのは、女の子だけではありませんでした。

仮面ライダーしかり、ウルトラマンしかり。男の子のなかにも、変身して悪と戦うヒーローはたくさんいます。

でもちょっと注目してみてほしいのが、男の子の変身ヒーローは、たいてい覆面をかぶっているというところ。

仮面ライダーウルトラマンも、顔も身体も完全に覆われていて、中身が誰だかわかりません。あとなんか、すごく衝撃を吸収してくれそう。

一方、変身魔法少女たちは、いかにも戦いにくそうなミニスカートだったりハイヒールだったり、かなりビジュアル重視。しかも完全に顔をさらしてる。

そもそも女子の方が肉体的な戦闘力は低いはずなのに、男子の方が重装備というのはなんだかおかしな気がします。

やっぱり美少女には、苦痛にゆがむ表情とか、傷ついた生足とか、見えそうで見えないちらリズムとか、そういうものが求められているんでしょうね。

同じ女の私だって、セーラームーン仮面ライダーみたいな特殊なスーツで前身覆って出てきたら「あれ?」ってなる。

つまり、同じ役割を担っていても、男と女で求められるものは違うんです。

こういうのがまさしくジェンダーというものなんだなと感じて、ちょっと複雑。

仮面ライダーの中身が女の子になったっていい

でもだからこそ美男高校地球防衛部LOVE!はすごい。

これまで女に求められてきたことを、ぜんぶそのまま男にやらせているから。

まさに、ジェンダーフリーを体現したアニメだと思います。

男も女も関係ない、好きなように生きればいいじゃん。そんなメッセージを感じて、すこし勇気づけられた気がします。(制作者にそんな意図はないんだろうけど)

仮面ライダーの中身が女の子になったって別にいいし、むしろその方がきっとおもしろい。

男だからとか、女だからとか、そういう社会的な性差なんかどうでもいいじゃんって言える世の中になるといいなと思います。


TVアニメ「美男高校地球防衛部LOVE!」PV第2弾 - YouTube

美男高校地球防衛部LOVE!愛の公式ファンブック (ぽにきゃんBOOKS)
 

依存って言わないで、趣味って言って!

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「恋愛依存」って言葉を聞くとギクリとする。


彼に会えそうなときは全て予定を空けておく人、注目! 恋愛依存チェックリスト |AM

チェックしなくてもわかるけど、わたしはまさに「恋愛依存」です。

□彼氏の会えそうな時は全て予定を空けておいてしまう
□彼氏が会えるという日は、予定をキャンセルしてしまうことが多い
□友達より彼氏優先にすることが多い

AM」より引用

 この辺はもはや当たり前。みんなそうじゃないことの方が驚き。

恋愛を何よりも優先すると、なぜか「依存」だと言われて、病人みたいな扱いを受ける。

でも、恋愛が最優先!っていうの、おかしなことなのかなー?

だってわたしにしてみれば、恋愛にまつわるいろいろが人生のなかで一番楽しいし。

アルコールとかタバコとか、実際に身体に悪影響があるならわかるけど、恋愛ってはたして「依存」って表現するものなのか。

「精神に悪い!」っていうなら、仕事の方がよっぽどだし。

わたしのなかでは「楽しいこと=趣味」という認識があるので、いつも自分にとって恋愛は趣味なのだと思っています。

自分にとって楽しいことなら最優先しても問題ないよね?

だから、いわゆる「恋愛依存」の人は「わたし、恋愛に依存してる。どうしよう」って悩むんじゃなくて、「だって恋愛が趣味なんだもーん!」って思ってた方が絶対いいよ。

女子はなんでもかんでも「カワイイ」というけれど

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「女はなんでもかんでも『カワイイ』と言う」というのは、「はい、そうですね」と認めざるをえません。自分でも「これは本当に『カワイイ』という表現で合っているのか」と疑問に思いながら使うことがあります。

でも、そこに言葉のおもしろさを感じていたりもするのです。

「カワイイ」=生存戦略

本来「可愛い」という言葉は「小さくて愛らしい」ことや「同情を誘うばかりにかわいそう」(『岩波国語辞典』より引用)なことを表す言葉です。でも今、わたしたちが使う「カワイイ」という言葉は、本来の意味のほかに「オシャレ」や「キレイ」、「似合う」などたくさんの意味を持っています。もはや「おいしそう」という意味まで含まれているかもしれません。

それを「バカだ」という人もいますが、これには女子特有の理由があるように思います。

24年間、女をやり続けて実感していますが、「女性は共感を求める生き物だ」というのは真実だとおもいます。(その理由については、まだ考えあぐねていますが。)

そして、仲間どうしで共感するために便利なワードが「カワイイ」という言葉なのです。

当たり前のことですが、まったく同じものを見たとしても、それを表現する言葉は人それぞれ違います。それは、感性の違いはもちろん、ボキャブラリーの数にも個人差があるからです。

だから、自分の頭のなかに浮かんだ言葉をそのまま口に出すと、その場にいる全員が同じことを言う確立はかなり低いです。最悪なのは、自分ひとりだけ違うことを言ってしまったとき。血の気が引きますね。

そこで、全員が同じ表現をするために、汎用性の高い言葉が必要になります。そしてそれが「カワイイ」という言葉なのです。

女はバカだから、なんでもかんでも「カワイイ」というわけではありません。女子の世界で「うまくやる」ための、いうなれば生存戦略なわけです。なかにはただのボキャ貧もいますけどね。

個人的にはそんなことを気にするのはくだらないことだと思います。「みんなちがって、みんないい」のです。でも、女子校で過ごした6年間、わたしがうまく周りに馴染めなかったのは、そこに原因があったのかもしれません......。(涙目)

「カワイイ」=「あはれなり」

そんなわたしも最近は、けっこうなんでも「カワイイ」ですましてしまうことが多いです。それはもちろん、大人になって少し丸くなったということもありますが、汎用性の高い言葉を使うのは、もしかしたら日本の伝統なのかもしれないと思ったからです。

古文の授業を思い出してみてください。「あはれ」という言葉をよく耳にしたと思います。

この「あはれ」という言葉は「しみじみとした趣がある」「かわいい」「もの悲しい」(『土屋の古文単語222』より引用)などたくさんの意味を持っています。だから、同じ「あはれ」でも意味は文脈によって変わってくるのです。

ほかにも「をかし」「いみじ」など、古文単語のなかには多義語がたくさんあります。「いみじ」なんて「たいそうすばらしい」「たいそうひどい」(『土屋の古文単語222』より引用)というまったく逆の意味を持っていますからね。だから個人的に「ヤバい」という言葉は「いみじ」の進化系だと思っています。

わたしは古文の授業が大好きだったのですが、その理由のひとつがこの多義語の多さでした。ひとつの言葉なのに、たくさんの違う意味をもっている。だから、文脈や行間から意味を推測しなければならない。それを考えるプロセスがとても楽しかったのです。

だから「カワイイ」は「あはれ」と同じかもしれないと思ったとき、なんでもかんでも「カワイイ」と言うことに、あまり抵抗がなくなりました。「今の『カワイイ』はどういう意味で使われたんだろう」と考えるのもけっこう楽しいです。

でも、コミュニケーションのために「カワイイ」という言葉を使うのではなく、なんでもかんでも「可愛い」と思ってしまうようになるのはご免です。そのためにも「カワイイ」を使うときは、その意味をしっかり考えようと思っています。

彼氏のことを「彼」と呼ぶのはなぜ?

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彼氏のことを「彼」と呼ぶのは、最近の流行なのでしょうか。ここ1年くらいで、よく聞くようになったけれど、それはそういう風潮なのか、それとも大人になるとそう呼ぶものなのか、どっちなんでしょう。

私のなかではどうしても、「彼氏 = Boyfriend」「彼 = He」。だから、恋人という意味をあらわすのに、「彼」という言葉を使われると、なんとなく引っかかってしまいます。

「彼」の方がこなれた感じ

一方で「私の『彼』がね〜」という話し方をされると、ああ、これがいわゆる「こなれ感」というやつかと、ひどく納得したりもしています。

ちなみにこなれ感とは、「知識・技術などがすっかり身について運用自在となる」(岩波国語辞典より引用)という意味の「こなれる」という言葉を使った造語です。

もしかして、この「こなれ感」を演出するために「彼氏」じゃなくて「彼」という言葉を使うんですかね?ファッション業界では空前の「こなれ」ブームですから、その余波がこんなところにもあらわれているのかもしれません。

それで、わたしも「こなれ感」を出してみようと思って「私の『彼』がね〜」と言って話してみました。口に出す前は、ついに私も「こなれ系」女子の仲間入りだ!と思ってウキウキしていたのに、実際に言ってみたらやっぱり何かが違う気がしました。

というか、すごく、くすぐったい気持ちになってしまった。私、ぜんぜん「こなれ」てなかった。

自然と身ぶり手ぶりが増えたよね。海外ドラマかな?ってくらいに手ぶった。そしたら「こなれる」どころか胡散臭くなっちゃったよね。

やっぱり私には「うちの彼氏がさ〜」の方が合ってるみたいです。それじゃ、教室の床にあぐらをかいてだべっていた女子高生のころから、何も変わらないのだけれど。

もしかしたら、こなれ感を演出したいと思っている女子が、オシャレと同じ感覚で彼氏のことを「彼」と呼ぶのかもしれません。

 「彼」の方が上品な感じ

それだけではなんとなく腑に落ちなかったので、別のアプローチからも考えてみました。

それは「彼」という言葉の抽象性。「彼氏」という言葉からは、特定の誰かをあらわす生々しさを感じますが、一方の「彼」という言葉は、ふわっとしていて、とらえどころのないような印象を受けます。

これはきっと「彼」という言葉が代名詞であるのに対して、「彼氏」という言葉が名詞だからかなと推察します。(「彼氏」という言葉にも代名詞の要素はあるけれど一般的ではないと思います。)

振り返ってみると、彼氏のことを「彼」と呼ぶのに違和感を感じたのは、自分の彼氏に対して言われたときでした。

たとえば、おっとりした子や上品な感じの子が「私の『彼』がね〜」と話し出しても、別段変わったことはない。それがデフォルトな感じがします。これは「こなれ感」とはまた違う要素かもしれません。

彼女たちは「彼氏」という生々しい言葉に、いやらしさや汚らわしさを感じ取っているのでしょう。だから、つつましやかな日本人らしく「彼」という抽象的な言葉に変換してしまうのではないでしょうか。

とくに言いたいことはないです

それで、何が言いたいの?って感じですが、ずっと気になっていたことだったので、ただ自分なりに考察してみたかっただけです。

あと、明らかに「お前それデフォルトじゃないだろ」って感じの女子が「私の『彼』がね〜」なんて言っていたら要注意。そいつは言葉をもアクセサリーにしてしまうのです。

そういうときは顔面にパンチを喰らわせてやりましょう。

「素敵な男性に選ばれるために自立しよう」みたいなのほんと嫌い

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小学生のころから「男尊女卑」というものにひどく敏感でした。だって当時、私より成績がいい男子も、私よりハキハキとものが言える男子も、なかなか周りにはいなかったので、大人になると男ばっかりえばっているのがどうしても理解できなかったからです。だから、父親や先生を含めた周りの男性すべてに敵意をいだいていました。

大人になった今では、そんなフェミニズムをこじらせたような考え方ではありませんが、「男女の役割があまりにも固定的すぎる」という違和感はずっと感じています。べつに統計をとったわけじゃないですが、たとえ共働きの夫婦だとしても主たる生計を担っているのはやっぱり男性の方が多いですよね。本当に社会が男女平等なら、その割合が半々くらいになっててもおかしくないと思うんです。

そんなことを日々悶々と考えているわけですが、このことに関して非常に憤りを感じる出来事がありました。

いつまで受け身でいるつもり?

いつも通りFacebookをぼけーっと眺めていたとき、とある方のブログ記事が目に留まりました。それを読んだ私は、動機・息切れに見舞われるほどわなわなしてしまったのです。

そこには「自立した素敵な男性に選ばれるためには、女性も自立しなければなりません」みたいなことが書いてありました。

もうね「はあ?」って感じ。なにをそんな前時代的なことを言っているのですか?

もちろん、男性に「養ってもらう」という価値観は捨て去っていいと思う。そのためにも経済的、精神的自立は必要。でもね「選ばれるため」ってなに?しかも、コメントを見る限り、かなり多くの女性が賛同していてなんだか悲しくなってしまいました。

いつまでわたしたちは男の人に「選ばれる」受け身の存在でいなければならないのですか?それを打破しようと、いままでたくさんの先輩たちが闘ってきたのに、女性自身がこれまでの歩みを踏みにじるようなことをしないでほしい。

だって、仕事大変じゃん。ストレスたまるじゃん。でも負けずに頑張ってるのはさ、本当に「素敵な男性に選ばれるため」なの?わたしは絶対違うと思う。

自立するのは自分のためでいいじゃん

たぶん、そのブログを書いた人も、賛同している人も、本当は自分の夢とか目標のために自立して頑張ってるんだと思うんです。でもそれを「男の人に選ばれるため」なんて言ってしまうと、すごくもったいないし、悲しい。

もちろん考え方は人それぞれでしょう。でも私はこういうのすごく嫌。

経済的な自立も、精神的な自立もぜんぶ自分のためでいいじゃないか。むしろこれからはこっちが選んでやるくらいの気負いを持とうよ!

昔は女が「自立する」なんて、あり得ない世の中だったんですよ。だって妻が働くのは夫の恥だとか働きたいという妻が心配なんて言われてたんだから。それが今なら、女も自分のために生きられる時代なんです。それを自ら手放すような言い方は、やっぱり嫌だと思う。

わたしたちはいつまでも、「男に選ばれる」受け身の存在ではないんだから。

 

参考:「悩める女性へ…人生案内100年

動悸や息切れに 救心 60粒

動悸や息切れに 救心 60粒

 

 

私が面食いを公言しているのはイケメン好きとかそういうんじゃないんだってば

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最近、好きなタイプを聞かれたら、必ず「私は面食いです」と答えるようにしています。自分の顔、鏡で見てから言えよっていう意見は受け付けません。だって別に「イケメンがタイプ」って言ってるわけじゃないんです。もちろんイケメンは大好きですが、私が言いたいのは「顔で好きかどうかを判断する」ってことです。

性格や人柄は明確な判断基準になり得るか

こういうこと言うと、だからろくな男と付き合えないんだとか、長続きしないんだって批判されるんですが、私からすると、性格とか人柄というもので人を好きになるっていう方がいまいちピンと来ません。

そもそも、性格やら人柄というのは、その人の言動に現れるものだと思います。誰かに対する物言いとか、ある出来事への対処のしかたとか。人間の性格や人柄を判断する材料ってそれくらいしかないですよね。

でもそれって、明確な基準といえるんでしょうか。だって、人の言動なんてものは対象が変化すれば変わってしまうものじゃないですか。

たとえば、私のことをいつも気遣ってくれて、絶対に車道側を歩き、荷物も持ってくれ、毎日車で迎えに来てくれる彼氏がいるとしましょう。私に対する言動だけで判断するなら、彼の性格は「優しい」ということができます。でも、相手がもしお母さんだったらどうでしょう。もしかしたら、お母さんを買物に付き合わせた挙句、荷物を持たせ、毎日の手料理に文句をつけて「クソババア」なんて言葉を浴びせかけているかもしれません。そうだとしたら、彼の性格は本当に「優しい」といえるんでしょうか。

恋人同士と親子を比べるのがおかしいって意見もあるかもしれませんが、本当の意味で優しい性格の人なら、きっと彼女に対してもお母さんに対しても優しく接するはずだと思いませんか。

もちろん、ここに挙げた例はかなり極端です。でも自分には優しい彼氏が、職場で後輩をいじめてたとか、そういう話っていくらでもありそうですよね。

そう考えると、相手の本当の性格とか人柄を判断するのは至難の業です。ていうかほぼ無理だと思います。もちろん、幼馴染で長年相手のことを見てきたからわかるっていうのはあり得るかもしれません。でもそんなのかなりのレアケースだし。

それに、その日の機嫌によっても変わりますよね。晴れてる日は明るく笑わせてくれる彼だけど、雨が降ると些細なことで怒るみたいな。これじゃ、彼が「明るい」性格なのか「怒りっぽい」性格なんだか判断がつきません。

ちょっとやそっとじゃ変わらないもので判断したい

だけど、顔だったらどうですか。顔って急激に痩せたり太ったり、もしくは整形しない限り変わりませんよね。

それから、過去の経歴とか実績もそうそう変わるもんじゃありません。だから、学歴とか家柄が大事っていう人の気持ちはすごくよくわかります。ただ、私はそこにはあんまり興味がないので、やっぱり顔なんですけど。

顔以外でも、舞台をかじっていたので、その人の手がけた作品とか、ライターとしてなら、その人が書いた記事とか。そういうものを観たり読んだりしていいなって思うこともあります。でもそれも変わらない要素です。

だから、好きなタイプがどうのこうのっていう段階で、私が男性を見る基準は顔しかありません。もちろん付き合い始めてしばらく経ってから、内面的な部分で魅力を発見してもっと好きになることはあります。でも初めは絶対顔。

あと一口に見た目と言っても、髪型とか服装とかはすぐに変わっちゃうので、やっぱり顔ですね。絶対顔。

これは経験則なんですが、ちょっとやそっとじゃ変わらないもの、私の場合は顔を好きになって付き合うと、相手の言動にイラっとしたり、ムカついたりしても、たいていは許せます。そもそも彼の言動を好きになったわけじゃないので、付き合ってから優しくなくなったとか、態度が変わったみたいな理由で好きじゃなくなることもありません。だから、顔で選ぶから長続きしないということもないです。よく見たらタイプじゃなかったっていうのは例外として。

タイトルのとおり、私が面食いを公言してるのはただイケメンが好きとかではなく、ちゃんとした理由があるんです。

タイプなんて人それぞれだとは思いますが、恋人や好きな人がいないなら、顔とか実績のようにちょっとやそっとじゃ変わらないものに着目して探してみてもいいのではないでしょうか。

恋愛上等イケメン学園

恋愛上等イケメン学園

 

 ※「イケメン」で検索したら、高校時代にハマっていた乙女ゲームのドラマCDがでてきたので記念に貼り付けておきます。

久しぶりに自転車に乗ったら

昨日、久しぶりに自転車に乗ったら、たった5分くらいの道のりなのにへとへとになってしまいました。

私は、中高はずっと自転車通学だったし、大学に入ってからも、家から駅までは自転車で通ってたんですよ。

だから、ざっと10年以上はほとんど毎日自転車をこいでいたことになるので、もう体の一部といっても過言ではないような感覚だったんですね。

でも一人暮らしを始めてから、めっきり乗らなくなってしまって、ペダルをこぐのは2か月ぶりくらいでした。

たしかに久しぶりといえばそうなんですが、まさかこんなにきつくなっているとは…

私の10年間はいったい何だったんだろう。たった2か月ばかりでゼロになってしまうような経験だったんだろうか。

とてもショックでした。

「継続は力なり」といいますが、なにごとも少しのブランクが命取りになるってことかもしれないなと感じました。

まだ筋肉痛が来ないので、ひやひやしています。