せなどすブログ

どうでもいいことしか書きません

彼と私のお雑煮抗争

今年は久しぶりに実家のお雑煮を食べた。お雑煮は、地域ごとに味や具材が違うのはもちろん、その家ごとにさまざまな特徴があるものだ。私はお雑煮って、家庭の雰囲気だとか価値観だとかを象徴するような食べ物なんじゃないかと思っている。

何年か前の元旦、私は彼氏の実家にいた。お雑煮を作ってあげる約束をしていたからだ。彼の両親は長いこと別居していてお父さんとふたり暮らしだったのだが、内縁の妻と一緒に会員制のゴルフリゾートに泊まるとかで留守だった。

その話を聞いたとき、複雑な事情を抱えた彼とは違い、いたって普通の家庭で育った私は、「家族でお雑煮を食べる」という、いたって普通のお正月イベントを彼に体験してもらいたいと思ったのだ。

普段まったく料理をしない私が「お雑煮作るよ」と提案したとき、彼は本当にうれしそうだった。「材料は買っておくから」と言ってくれたので、当日は手ぶらで彼の家に向かった。

しかし、彼が用意してくれた材料を見たとき、私は「え……?」と困惑してしまった。袋の中にコンビニで売っている煮物のパウチが入っていたからだ。しかも、人参や大根といった生の野菜はない。

おそるおそる「え、野菜は……?」と訪ねると、彼は「これ、そのまま使えばいいじゃん」とそのパウチを取り出した。そのときの衝撃を、私は忘れることができない。

うちのお雑煮は、一度煮た人参と大根を花の形に型抜きし、焼いた餅と出汁が入った器にあとから加えるという、家庭料理とは思えないほど丹精な方法で作られている。さらに、出汁に油が浮いたり色が付いたりしないよう、鶏肉やしいたけは別で煮ているのだ。

でもこれはひとえに、うちの母親の手先が器用で、かつ伝統的な年中行事を丁寧にこなそうとするタイプの人間だからにほかならない。私は母親のしとやかさに乗っかっているだけで、本来はガサツでズボラな人間なのだ。だから今考えるとまさにパウチこそがお似合いなのだが、そのときはどうしても「そんなの使ったらお雑煮じゃないじゃん」と思ってしまった。

しかも何を思ったか、そっくりそのままのセリフを彼に向かって言ってしまったのだ。一瞬で凍りついた空気に、私は自分のデリカシーのなさを呪った。

「いや、うちのお雑煮ってすごく手が込んでてさ。人参とか大根とかお花の形に型抜くんだよね」。実際に家から持参していた型抜きを取り出して説明したけれど、取り繕おうとすればするほど、体感温度はどんどん下がっていく。

気まずい沈黙のあと、彼は「そんなめんどくさいことする必要なくない?」と言い放ち、自分でお雑煮を作り始めた。

正直、普段から自分で食事の支度をしている彼と、専業主婦の母親が毎日欠かさず手料理を作ってくれる私とを比べたら、彼の方が断然手慣れている。野菜はパウチの煮物で、出汁はインスタント。鶏肉も一緒くたに煮ていたが、キッチンの中でテキパキと動く姿はとても様になっていた。

一方、私は何もできずに、ただぼーっと突っ立っているだけだった。何か手伝おうかとも思ったが、彼は機嫌が悪くなると私の存在を無視するので、ただただ見ているしかなかった。

あのときの私は、自分の「うちのお雑煮」が彼にとっても「うちのお雑煮」になればいいと思っていた。でも今考えると、私にとっての「うちのお雑煮」が、母親が手間ひまをかけて作った一品であるのと同じように、彼にとってはパウチの煮物をインスタントの出汁で煮たものが「うちのお雑煮」で、それだって家庭の味なのだ。

彼が私の分のお雑煮も用意してくれたので、ふたりで並んで食べた。それはとてもおいしかったけど、やっぱり「これはお雑煮じゃない」と思った。ただの友だちが作ってくれたお雑煮なら、とくに引っかかることはなかったと思う。

でも、私は彼と結婚したかった。家族になりたかった。

だからこそ「うちのお雑煮」を「めんどくさい」と否定されたことで「この人とは無理かもしれない」という気持ちが芽生えてしまったのだ。

そのお正月から2年と少し付き合ったものの、結局彼とは別れてしまった。たくさんのすれ違いや噛み合わなさがあってのことだけど、このお雑煮抗争で生まれたひずみは意外と根深かった気がする。

でもたとえあの日、私が何も言わずにパウチの煮物を使っていても、彼が型抜きをめんどくさいと切り捨てなくても、結果は変わらなかったとも思う。

「うちのお雑煮も、人参が花の形だった」という人とは、なんとなく生まれ育った家庭の雰囲気とか価値観が近いような気がする。

そういう人と出会えたら、今度こそ結婚なんて話になるのかな。実家で花の形の人参が浮かんだお雑煮を食べながら、そんなことを思った2018年の元旦だった。