せなどすブログ

あんまり明るいことは書きません

カッコいいは疲れる、カワイイは作れる

http://tkj.jp/magazine/data/sweet/201603/img/cover_007_201603_ll.jpg

出典:2016年3月号|sweet(スウィート)│宝島社の女性ファッション誌

ニッポンに「カワイイ」が戻ってきた……らしい。

日本一(かどうかは知らないけど)のファッションECをつくった男と付き合ってるサエコが言ってるんだから間違いないだろう。(実際は、サエコが表紙の雑誌に書いてあっただけ)

たしかにここ数年、女子のトレンドは「カッコいい」全盛期だった気がする。

数年前までずっと「カワイイは正義」って言われてきたのに、徐々に「カッコいい」が幅を利かせてきて、いまや「カッコいいが最高の褒め言葉」ってとこまできてる。

でも、もしかしたらそれは当然のことだったのかもしれない。「カワイイ」という言葉の汎用性が高くなりすぎて、ダサくても、キモくても、もはやなんでもかんでも「カワイイ」と言われるんだもの。

だから、「カワイイ」と言われることに価値がなくなってしまったのではないだろうか。

ところで、「カッコいい」という言葉には、センスがいいとか、仕事がデキるとか、そういう意味が含まれている気がする。ただ、好きな服を着ているだけではいけなくなってしまった。

「カッコいい」と言われるには、着る服だけじゃなく、どんなものを部屋に飾るか、どんなところでご飯を食べるか、どんなふうに仕事をしているか……。いわゆる「ライフスタイル」全般に気を配らなければならない。

しかも、誰かの真似をするのは「カッコよくなく」て、「自分らしさ」がないとダメらしい。自分で自分の好きなものを選びとった結果、こんなにオシャレなライフスタイルになった……というのが「カッコいい」のだ。

でも、自分の好きなものが、みんなが思う「カッコいい」にハマらなかった場合、それは「カッコよくない」し、「ダサい」と言われてしまう。だから結局、自分が本当にいいと思ったものを選び取れなくなってしまった。

そう思うと「カワイイ」はもっと寛容だった。どんなものでも、自分の「好き」を許してくれる懐の深さがあった。しかも「カワイイは作れる」のだ。

「カッコいい」を追い求めるのは、とても、疲れる。本当にニッポンに「カワイイ」が戻ってくるのなら、私は全面的に支持したいと思う。