せなどすブログ

どうでもいいことしか書いてありません。

サンタさんへの手紙にパパとママの悪口をびっしり書いて送った話

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トピック「サンタさん、これください」

私もとうとう、クリスマスに心躍らない大人になってしまった。

悲しい。とても悲しい……。

せめてもの慰みにコンビニで買ったチキンを食べてたら、ふと、小学生のころサンタさんに宛てて書いた手紙について思い出した。

喉から手が出るほどほしかったケータイ

小学校の高学年になると、周りの同級生たちがこぞってケータイを持ちだした。

うらやましい、というか妬ましかったし、仕切りたがりで目立ちたがりだった私は、自分がケータイを持っていないことに焦りを感じていた。

さらに、女子コミュニティのおそろしいところで、みんなが持っているものを持っていないことは、それだけで仲間はずれの理由になるのだ。

このままじゃハブられる……!

私は両親に毎日のようにケータイをねだった。ケータイ、ケータイ、ケータイ。寝ても覚めてもケータイのことばかり考えていたので、ことあるごとに「ケータイ買って」って言ってた。

そして、どんなにしつこくねだっても買ってくれないのがうちの親である。

よく驚かれるけれど、うちの親はけっこう厳しい。小学生のころ、私は漫画を読むことを禁止されていたほどだ。

そうだ、サンタさんに頼めばいいんだ!

「ケータイカッテ」がまるで呪文のようになってきたころ、「そうだ、サンタさんに頼めばいいんだ!」と思いついた。

べつに、クリスマスが迫っていたわけではなかったけれど、うちの親を説得するより、サンタさんに頼んだほうが、ずっと確実だと思ったのだ。

ただ、子どもの味方であるサンタさんとはいえ「ケータイは子どもにはまだ早いじゃろ」と言われてしまう懸念があった。

そこで自分がケータイを持っていないことでどれだけ辛い思いをしているのかを伝えるために、手紙を書くことにした。

何度も何度も書き直しと推敲を重ねて、クリスマス前にはけっこうな大作になっていた。

その内容は、同級生の女子のなかで一番最初にケータイを手に入れたリーダー格の子がいかにおそろしいかということや、ケータイを持っていないことで自分がハブられる危機に瀕しているということ。

それから、自分の両親の悪口である。

全体の分量は、こちらの方が断然多かった。私がサンタさんに送ろうと思っていた手紙にはパパとママの悪口がびっしり書かれていた。

ケータイを買ってくれない両親はわたしがハブられてもいいんだとか、父も母も妹ばかりかまって私を愛していないんだとか、とにかく自己愛をこじらせた悲劇のヒロインエピソードを書き連ねた。

さすがに詳細は覚えていないけれど、けっこうひどいことを書いたと思う。私はサンタさんに同情してほしかったのだ。

そうすれば優しいサンタさんは私の願いを聞いて、ケータイをプレゼントしてくれるはずだと思った。

書き上げた手紙は、パパとママに見られないようにツリーの下に隠した。うちはサンタさんへの手紙はツリーの下に置くシステムだった。私のなかでは、そうすれば、手紙の内容がサンタさんに伝わるということになっていた。

サンタさんはどこまでもファンタジーなのである。

サンタさんのセンスが違うのはなぜか

クリスマスが目前に迫ると、校内はサンタさんの話題でもちきりだ。

みんなで話していると、今年は何を頼んだかはもちろん、これまでもらってきたプレゼントについても話が及ぶ。

毎年ゲームをもらっている子もいれば、本やら辞書やらのお勉強アイテムばかりもらっている子、ルーズソックスや厚底シューズなんて小学生らしからぬものをもらったという子もいた。

それぞれまったく違うラインナップに「サンタさんはさすがだな」なんて感心していた私に、となりのユキちゃんがこそっと耳打ちした。

「さすがミナのママだね」

「ん?」と思った。ママ?

ミナとは、サンタさんにルーズソックスや厚底シューズをもらったという子だ。 そしてミナのママは、ヤンママと揶揄されるほど派手な見た目をしていた。

ユキちゃんは、周りの子よりずっと大人びている子だった。すでに眉毛はキレイに整っていたし、唇はグロスでツヤツヤしていた。

子どもっぽくて、眉毛のかたちを整えるなんて発想すらなかった私は、ユキちゃんに憧れていて、いつもくっついて歩いていた。

ユキちゃんは、すでにサンタさんの真実を知っていたのだろう。

そして、ユキちゃんに憧れて、大人っぽく振舞っている私も、サンタさんの真実を知るひとりだと思われたのだ。

だから、秘密を共有するように私だけにこっそり話しかけたんだろう。

でも、私はこのときまで、サンタの存在をまったく疑ったことがなかった。いや、もしかしたら少し疑念はあったのかもしれない。でも、半信半疑にも満たない、小指の先ほどのものだ。

それが、ユキちゃんのひと言をきっかけに「サンタさん=パパとママ」という疑念がむくむくと膨らんでいった。

サンタさんはいるのか、人知れず始まった実証 

家に帰ってツリーを確認すると、私の手紙はまだそこにあった。

もし、本当にサンタさんがいなかったら……?

この手紙をパパとママに読まれたらまずいんじゃないか。

というか、本当にサンタさんがいないなら、ケータイなんてねだるだけムダだ。

でも、でも、でも……。

まだサンタさんの存在を完全に信じていないわけではなかった。半信半疑だったと思う。

サンタさんは本当にいるのか、いないのか……。

私は人知れず実証してみることにした。

手紙はこのまま置いておく。クリスマスの朝、ケータイがあったらサンタさんはいる、なかったらサンタさんはいない……。

その年のクリスマスイヴはいつも以上にドキドキしながら眠りについた。

サンタさんの正体

 クリスマスの朝、目が覚めるとすぐ足元を確認する。うちは枕元ではなく、足元にプレゼントが置かれているスタイルだったのだ。

そこにあったプレゼントが、ケータイではないことは明らかだった。あまりにも薄すぎるのだ。

その瞬間すべてを悟った。サンタさんの真実を知ってしまった瞬間だった。

ケータイの代わりは、浜崎あゆみのベストアルバムだった。これはこれでうれしかったけれど、なんだか複雑な気持ちだった。

そして、プレゼントと一緒にサンタさんから手紙の返事も届いていた。

便箋5枚という超大作を送ったにもかかわらず、その返事はたったふた言。

「メリークリスマス。君のパパとママはいつでも君の味方でいてくれるよ」

その筆跡はまぎれもなくママのものだった。振り返ってみれば、これまでもらったサンタさんの手紙の文字は、すべてママのそれにそっくりだ。

サンタさんの正体に気付いたとき、ひどい罪悪感に襲われた。

あんな手紙書かなきゃよかった。

「プレゼントなんだった?」

「あゆのアルバム。超うれしい!」

本当はそこまでうれしくなかったけど、せめてもの償いにすごくよろこんでいるフリをした。

あの手紙を読んで、ママはきっと泣いただろうな。

今にして思うと、切ないような、申し訳ないような、なんともいえない気持ちになる。

あ、ちなみに今年は洗濯乾燥機がほしいです、サンタさん。