せなどすブログ

あんまり明るいことは書きません

ひとり8本の原則

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メディアジーンで働いていたとき、編集部に「ひとり8本の原則」というものがあった。

これは、記事広告の案件はひとり最大8本までしか受け持たないようにするというルール。8本という数字は上司が決めたものなので、くわしい根拠はわからないが、とにかくひとりで8本以上の案件を回すと"ヤバい"ということだ。

ふと、当時は死ぬほど忙しいと思っていたメディアジーン時代より、フリーランスになった今の方が地獄みたいに忙しいことに気付き、そういえばあのころは「ひとり8本の原則」に守られていたのだと思い出した。

編集者の業務は、個人に強く紐付いてしまうもので、誰かと共有したり、スポットで代わってもらったりすることが難しい。それは、記事の完成図が担当している編集者の頭の中にしかないから。もちろん、いろいろな方法でイメージを共有することはできるけれど、本人が主体にならないと満足できるものができあがらない。そもそも編集者なんて職種は、こだわりの強い人ばかりなので、他人に自分の案件を任せるのはイヤなのだ。

だから、担当する案件の量によって、忙しさにはかなりバラつきが出る。もちろん、質的に"重い"という案件があるので一概には言えないが、多くの案件を抱えている人ほど、みるみるライフが削られていく。そんな状況を受けて、特定のだれかに負担が集中しないよう「ひとり8本の原則」が導入されたのだ。

8本という本数の根拠がわからないとは言うものの、さまざまな死線(炎上案件とか、無理ゲー案件とか)を乗り越えてきたベテラン編集者が決めた数字なのだから、きっと核心をついたものなのだろう。

ここで、現在の自分の状況を振り返ってみると、抱えている案件の数は8本なんて優に超えている。ぶっちゃけ10本以上ある。企画立てて、人をアサインして、取材のアポとって、ラフ作って、撮影ディレクションして、スケジュール管理して、原稿の校正して、画像加工して、CMSに入稿して……。ざっと洗い出しただけで「うげっ」と言いたくなる業務量。これを10本以上も並行してやっているのか。さらに私の場合、編集案件だけでなく、ライターとしていただいている原稿仕事もある。忙しいはずだ。

仕事をたくさんいただけることは本当にうれしいし、正直私は「忙しくて死にそう」って言ってるときが一番心が満たされている。だから心配は無用だし、引き続き仕事は絶賛大募集中だ。

でも困ったことに、気持ちが大丈夫でも身体が言うことを聞かないときがある。今日も明日も明後日も徹夜で仕事したってぜんぜんいいと思ってるのに、身体はたった一晩寝ないだけで悲鳴を上げる。

24時間働けますという思いとうらはらに、身体は使いものにならず、スケジュールを後ろ倒しにしてもらったり、原稿の〆切を延ばしてもらったり、結局周りに迷惑をかける。

私はつくづく、マネジメントができないやつだなと思い知った。自分が死にそうになるのは勝手だが、それでひと様の仕事にまで支障をもたらしてはいけない。

無理です、できません、って言えない質なのが原因だが、自分のキャパを顧みず、できます、やらせてください、と言うのはただのわがままだ。結局、すみません、間に合いません、ちょっと待ってください、になるのだから。

 

ということで、すっかり心を入れ替えた次第です。諸々ご対応いただいた関係者各位、ありがとうございました。今後は〆切厳守で(社会人として当たり前)精進していく所存ですので、何卒よろしくお願いいたします。

 

って、まだ入稿してない原稿あるけどな。(急いでやってます。ほんとです)

君の大事なところから、1週間出血し続けたらどうする?

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 「避難所の男性職員が、生理用品をエログッズだと勘違いして送り返した」

 そんな都市伝説みたいな話が発端になって「男ってほんと、女の身体のことなんにもわかってない」論がさかんになっている。でも、こういう話題で必要以上に男性批判する人は、最終的に「やっぱり男はダメ」って言いたいだけのフェミニストな気がするから、あんまり気にしなくていいと思う。実際、私もその一派だけれど、そういう話題は、ネットであーだこーだ言うんじゃなくて、女子会のためにとっておきたいよねー。男の悪口、いいつまみ。

 

男も生理についてちゃんと理解しろって言うけどさ、生理が続く具体的な日数とか、経血の量とか、生理痛の痛みの度合いとか、ことこまかに知られるなんて正直キモい。それに私、朝勃ちの詳しい仕組みとか別に知りたくないもん。聞いても「男の人って大変だね」くらいにしか思わないし。「大丈夫ですか? TENGA使いますか?」とか、絶対言わない。自分についていないものについて理解するなんて、なかなか骨が折れる。

あと、生理って個人差がすごい。もう1ミリも動けないってほどの痛みがある人もいれば、あ、そういえば生理きてたっけ?ってくらいケロッとしてる人もいる。だから「生理とは」って定義できないと思うんだよね。それより、身の回りの人、職場の人とか家族とか恋人に、自分の体調の変化(バイオリズムっていうの?)について知っておいてもらうのが大切だと思う。

ただ、もし本当に「生理用品は贅沢品」「ティッシュつけとけばいい」「生理って1日で終わるんでしょ」なんて教養のない男がいるなら、一発腹パン食らわせたい。それから、生理に関する話題でたまに聞くのが、職場の人、とくに上司の生理に対する知識がなくて、体調最悪で仕事どころじゃないのに「怠慢だ!」とか思われて大変だって話。でもそれって、生理うんぬん以前に体調の悪い部下にそんな対応しかできない職場なんて、そもそもおかしい。

 

「生理について正しく理解しろ」ではなくて、身の回りの女性の体調をもう少し気遣ってって話。それから女の方も、自分の体調についてきちんと伝えるべきだと思う。生理はエロでも恥ずかしいことでもないのだから「生理痛が重いので月に一度何日間か作業効率が落ちます」とか「いま生理中だから些細なことでイライラししちゃうんだ」とか、口に出した方がいい。「言わなくても察してよ」という態度は単なる甘えだと思う。男女ともに歩みよりましょうねって月並みな話だけれど、たぶんすごく大切。

 

  

ところで、「生理? だから?」なんて反応されたら、絶対「死ね」って思っちゃうけど(きゃー野蛮)、逆に「大丈夫?」「無理しないで」「可哀想だね」って無駄に心配されても「うっせえ! お前に何がわかるんじゃ!」って思っちゃうのが乙女心の複雑なところ♡ べつにそれで君のポイント上がらないから、とりあえずそっとしておいてほしい。優しい言葉をかけてもらえるのはありがたいけど、生理のときはそれどころじゃないし、情緒不安定でイライラしているので。ていうか「大丈夫?」とか言ってるくせに、なんでお前が寝てて私が風呂ためにいくわけ?

心配してもらえないとムカつくけど、優しい言葉をかけてもらっても、お前にこの辛さがわかるか!って思っちゃう……。乙女の心は矛盾だらけ。それでふと、男の人に生理がどんなもんかなるべく正確に伝えるにはなんて言ったらいいのかなーと考えて、思いついたのが「君の大事なところから、1週間出血し続けたらどう?」っていうもの。シンプルだけど、すっごくわかりやすくない? これならリアルに想像できるんじゃないかと思ってさっそく使ってみた。

 

「ねえ、君の大事なところから、1週間出血し続けたらどう?」

「え、死んじゃうよ!」

えー、まさかの答え。

「そうじゃなくて、女の生理ってそういうことだって言いたいの」

「それは違くない? だって身体のつくりが違うじゃん」

いや、そういうことじゃなくて……。

 

ぜんぜん伝わらなかった。

 

別にことこまかに理解してくれなくていいから、「生理=大事なところから血が出続ける=なんかヤバい」ってことはリアルに感じてほしかったんだけどなー。

とはいえ、個人的な経験をふまえると、ちゃんと理解しようとしてくれてる男の人は意外と多い気がする。こういう比較はあまりにも安易だけれど、女性が本格的に社会進出をしていなかったころに比べれば、「イマドキ」の男の子は女性の身体について、ある程度知識はあるんじゃなかろうか。

王子(彼氏のこと)なんて、職場の女上司が「彼女が生理で辛いときは優しくしてあげなさい」「イライラしていても広い心で許してあげなさい」とキリストよろしく教えを授けてくれるらしく、びっくりするほど優しい。でもどんなに優しくしてくれても、生理のときは「お前の優しさはそんなもんかよ?」「もっとできるだろ、もっと」って思ってしまうんだけど。(ごめん)

 

でも生理が終わると「いやーもうほんとにありがとうございました!」「あなたさまは本当にお優しい! 神!」ってなる。

そんなことを毎月くりかえしている日々である。

「産んだのはお前」のおっさんがセンテンススプリングの餌食になった

朝に上げたブログで偉そうなおっさんのひとりとして紹介した、「産んだのはお前」発言の山田宏氏のスキャンダルを「週刊文春WEB」がスクープしていた。

shukan.bunshun.jp

離婚訴訟を起こされている山田氏の奥さんが、取材で過去の不倫問題について語ったそうだ。

 

ここのところ、「不倫」「愛人」というワードは、とてつもない威力をもっている。しかもそのうえ「隠し子」というワードまで。これは、燃えないわけがない鉄壁の布陣だ。

 

もちろん、保育園が不足している問題と、与党の参院選の候補者の素行は直結するようなものじゃない。個人的には、ちゃんと政治家としての職務をまっとうしてくれれば、私生活の清廉性についてわざわざあげつらう必要はないと思う。とはいえ「偉そうなこと言っといてなんやねん」と思ってしまうのはしかたがないことだろう。

しかも「山田氏は、妻との間にも三人の子供がいるが、保育園に通った時期も含め、子育てにほとんど携わらなかった」そうだ。これは、離婚訴訟を起こされている側の奥さんの発言ということを踏まえると、むやみに信じることはできないけれど、少なくとも愛人の間に生まれた子どもに対しては、認知して金銭的な支援(って言い方は適切じゃない気がするけど)をするだけだったんじゃないのかな、と思ってしまう。

 

こうなると、山田氏の「産んだのはお前。親の責任」っていう発言の親って、母親のことだけを指している可能性が濃厚。というか、少しでも「自分は言えた義理じゃないけど……」って後ろめたさを感じたんだろうか。思い当たる節があるがあるなら、もうちょっと慎重に言葉を選ぶはずなのになあ。

やっぱりおっさんは謎である。

親愛なる日本のおっさんたちへ

おっさんって、謎だ。

www.huffingtonpost.jp

20歳くらいの巫女さんに「自民党は好きじゃない」と言われて「巫女さんのくせに」と発言。

www.nikkan-gendai.com

ソープ通いを摘発されそうになって「(自分は)潔癖な性格なのでソープには行きません。嫁が東大卒の才媛なことが証拠です」(実際はもっとひどいことが書いてあった)と、文書で否定。

www.sankei.com

「保育園落ちた死ね」ブログをめぐって、「(子どもを)産んだあなたの責任」という旨の発言。

 

「女性蔑視だ!」と騒がれているけれど、過激に見える発言を切り取られてしまっているから、必要以上に責められているようだ。きちんと精査して読むと、大西議員の発言は、ちょっとしたウケ狙いだったんだろうし、山田氏は保育園問題について、母親の責任を問いたかったわけではなく、保育園落ちたブログを野党批判のための材料にしたかっただけみたいだとわかる。(長崎議員は、ただただひどかったけど、自分の評価を落としたくない一心なんだろう)。でも、たとえ意識的に女性を傷つけようとしたわけじゃないとしても、どこかで「女には偉そうにしてもいい」と思っているから、こういう言葉になって出てくるんじゃなかろうか。

おっさんが謎だと思うのは、どうして言葉の選び方をもうちょっと、考えられないのかなあということ。男女差別の問題において、言葉はとってもセンシティブだ。たとえば「看護婦」じゃなくて「看護師」、「スチュワーデス」じゃなくて「キャビンアテンダント」、ついには「ビジネスマン」じゃなくて「ビジネスパーソン」。呼称の変更は男女差別が直接的な原因じゃないけれど、言葉が与えるイメージはやはり大きい。女性特有の呼称が、ジェンダーによる差別を助長していた可能性はある。

仮にも政治に関わる人たちなのだから、それくらいは配慮してほしいものである。心のなかでどんなに女をバカにしていても構わないから、せめて自分の発言くらいには気を遣ったほうがいい。そのひとことで、踏みにじられる女性だっているんだから。私もね、心のなかではすさまじくおっさんを蔑視してる。でも、なるべく紳士的な言葉で綴っているでしょう?

 

個人的な意見だけれど、日本のおっさんの多くが「女には偉そうにしてもいい」と思っているような気がする。というかおっさんはみんな「おっさんは偉そうにしてもいい」と思っているんじゃなかろうか。

news.livedoor.com

だからこういうことを言っちゃうんだろうな。

 

でもおっさんが偉そうにしちゃうのはしょうがないことなのかもしれない。だって、たぶん、おっさんたちが若者だったころのおっさんたちは、きっともっと過激で偉そうな発言を平気でしていただろうから。偉そうなおっさんたちの背中を見続け、ようやく自分が偉そうにできる番だと思ったら、そこにはインターネットがあった。

たぶん、10年前なら「巫女のくせに」も「ソープは不潔」も「産んだのはお前」も、ここまで大きな話題にならなかったと思う。簡単に情報発信できる時代になったいま、たったひとことの失言が一気に日本中に広まる。でも、インターネットの影響力をきちんと理解できていないおっさんたちは、まさかこんな事態になるとは思わずに偉そうなことを言っちゃったんだよね?

おっさんの心ない発言は女性の気持ちを踏みにじる。でもそれを厳しく批判されることで、図太い神経を持ったおっさんたちも、自分の発言を悔い心を痛めているはず。こんな悲しい連鎖を断ち切るために、おっさんたちにはそろそろ口をつぐんでもらいたい。「おっさんは偉そうにしてもいい」という考えを変えるのは、おっさんになったいまとなっては難しいはずだから。心のなかでどんなに偉そうにしてもいいから、とにかく寡黙であれ。

 

偉そうなこと言うだけのおっさんより、背中で語るおっさんの方がずっとカッコいいぞ。

ポエム期の自意識の気持ち悪さは異常

私の人生には、たまにポエム期が訪れる。

ポエム期は、うつ期の亜種みたいなもので、とにかく気持ち悪いポエムを毎日量産してしまう時期のことだ。

ちょうど、前回のポエム期(2年前くらい)に更新していたブログを久しぶりに見てみたら、その気持ち悪さに驚いた。とりあえず、自意識がすごい。パンパンに膨れ上がっている。

実は、ポエム期が終わったころに、恥ずかしくなってすべて非公開にしたのだが、いまになって読み返してみると、気持ち悪すぎてむしろ笑えると思い、ふたたび公開してみた。完全に血迷っている。

ここで読めるよ)

前々回のポエム期には、ツイッターに鬱イート(鬱なツイートのこと)を垂れ流していたんだけど、アカウントを削除してしまったことが悔やまれる。大学生のファッションメンヘラのポエムなんて、気持ち悪すぎておもしろいに決まってるのに!

 

せっかくだから、特に気持ち悪いポエムをいくつか載せておく。いろいろな方面からドン引きされそうだけど、まあ気にしない。めちゃくちゃ気持ち悪いけど、実際に自分が感じていたことだから。めちゃくちゃ気持ち悪いけど。

ごめんなさい

ごめんなさい

と繰り返しながら

高層ビルの陰を逃げるように歩いた。

……なにがあったの?

指名手配犯の手記みたいなテンションだけど、「ごめんなさい」の理由は、たぶん彼氏とケンカしたとか、親に怒られたとか、そんなもん。

孤独を飼い慣らしすぎて、手放すことができなくなった。

孤独を飼い慣らすってなに? は? キモい、キモすぎる。自分で自分に引く。イタい。そんなもん飼うくらいなら、保健所の犬や猫を引き取るべき。

ちょっと思いつめて

スクランブル交差点で号泣するような

246の歩道橋で大声を出すような

そんな映画みたいな人生がいい。

たぶん、生まれるところからやりなおした方がいい。誰もがみんな、それぞれの人生の主役なんだ! そのままだって、映画なんかよりよっぽど面白いんだぞ!

スクランブル交差点で号泣するのも、246の歩道橋で大声を出すのも迷惑だからやめてください。

 

死にたくなるほど、気持ち悪くて恥ずかしい。恐ろしいのは、もしかしたらこのブログも、何年後かに読んだとき、吐き気をもよおしてしまうのではないかということ。ちなみに、過去の経験から、なるべく気持ち悪くならないように気をつけているつもりではある。

そして、もう二度と、私の人生にポエム期が訪れないことを願うばかりだ。

カッコいいは疲れる、カワイイは作れる

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出典:2016年3月号|sweet(スウィート)│宝島社の女性ファッション誌

ニッポンに「カワイイ」が戻ってきた……らしい。

日本一(かどうかは知らないけど)のファッションECをつくった男と付き合ってるサエコが言ってるんだから間違いないだろう。(実際は、サエコが表紙の雑誌に書いてあっただけ)

たしかにここ数年、女子のトレンドは「カッコいい」全盛期だった気がする。

数年前までずっと「カワイイは正義」って言われてきたのに、徐々に「カッコいい」が幅を利かせてきて、いまや「カッコいいが最高の褒め言葉」ってとこまできてる。

でも、もしかしたらそれは当然のことだったのかもしれない。「カワイイ」という言葉の汎用性が高くなりすぎて、ダサくても、キモくても、もはやなんでもかんでも「カワイイ」と言われるんだもの。

だから、「カワイイ」と言われることに価値がなくなってしまったのではないだろうか。

ところで、「カッコいい」という言葉には、センスがいいとか、仕事がデキるとか、そういう意味が含まれている気がする。ただ、好きな服を着ているだけではいけなくなってしまった。

「カッコいい」と言われるには、着る服だけじゃなく、どんなものを部屋に飾るか、どんなところでご飯を食べるか、どんなふうに仕事をしているか……。いわゆる「ライフスタイル」全般に気を配らなければならない。

しかも、誰かの真似をするのは「カッコよくなく」て、「自分らしさ」がないとダメらしい。自分で自分の好きなものを選びとった結果、こんなにオシャレなライフスタイルになった……というのが「カッコいい」のだ。

でも、自分の好きなものが、みんなが思う「カッコいい」にハマらなかった場合、それは「カッコよくない」し、「ダサい」と言われてしまう。だから結局、自分が本当にいいと思ったものを選び取れなくなってしまった。

そう思うと「カワイイ」はもっと寛容だった。どんなものでも、自分の「好き」を許してくれる懐の深さがあった。しかも「カワイイは作れる」のだ。

「カッコいい」を追い求めるのは、とても、疲れる。本当にニッポンに「カワイイ」が戻ってくるのなら、私は全面的に支持したいと思う。

 

ババロア王子と私のバレンタインの記録

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画像出典:Weheartit

今週のお題「バレンタインデー」

バレンタインデーに、初めて男の子にお菓子を作ったのは高校2年生のとき。

小学生のころから過激なフェミニストだった私は、男のためにお菓子作りをするなんて「けしからん」ことだと思っていた。

そんな信条が崩れ去ったのは、なんのことはない、当時の彼氏がめちゃくちゃ好きだったからである。

彼はチョコレートが食べられないという特異な人で、リクエストされたのはプリンとババロアというこれまた変わったメニューだった。

プリンはまだ、なんとなくいけそうな予感がしたけど、正直、ババロアに関しては、一体どんな代物なのか想像もつかなかった。たぶんババロアって言葉を口にしたの人生で3回目くらいだったと思う。

かくして、ほとんど生まれて初めてくらいのレベルでキッチンに立ち、プリンとババロアを作った。奇跡的に、家庭科の調理実習でヨーグルトババロアを作った後だったので、レシピはそのまま転用させていただいた。

出来は上々。いや、かなりおいしかった。(レシピどおりに作ることが何より大切だって学んだよ)肝心の彼の反応もよくて、私はとても満ち足りた気持ちになった。

結果、わたしのなかのフェミニズムは終焉を迎えた。過激派フェミニストも、イケメンの前では無力だったのである。完敗。

でも、そんな彼とは、二回目のバレンタインを迎えることなくお別れしてしまった。(めっちゃ泣いた)

そして月日がめぐって、5年後の2014年のバレンタイン。

なんと、またあのババロア王子にお菓子を献上することになった。(よりを戻した)

しかし、そのとき、彼はもはやババロア王子ではなかった。なんか、チョコ、食べられるようになってた。むしろ好きとか言ってた。

おいおい、この5年の間に何があったんだよ!

結局、その年は私が多忙すぎて(卒業公演の稽古の真っ最中だった)、市販のやつで済ませてしまったのだが。(ちなみにすごい不評だった)

市販のじゃやっぱり、がっかりさせてしまったようなので、次の年は汚名返上のために久しぶりにキッチンに立った。

しかし、私のお菓子作りのレパートリーはまったくもって変わっていなかったので、結局またもやプリンとババロア(まあまあ好評だった)

そして、2016年、性懲りもなく、今年もババロア作るぞー!って息巻いてたら(ここへ来てババロアへの一本化を検討した理由は、プリンのカラメルソースを作るのが苦手だからである)、「チョコを溶かしてくまの型にいれて固めたやつでいい」とのことだったので、大人になるって、どんどん欲がなくなっていくことなのかなーとしみじみ思った。

17歳だったババロア王子は、もう、溶かして固めたチョコでいい25歳の大人の男なのだ。