せなどすブログ

どうでもいいことしか書いてありません。

親愛なる日本のおっさんたちへ

おっさんって、謎だ。

www.huffingtonpost.jp

20歳くらいの巫女さんに「自民党は好きじゃない」と言われて「巫女さんのくせに」と発言。

www.nikkan-gendai.com

ソープ通いを摘発されそうになって「(自分は)潔癖な性格なのでソープには行きません。嫁が東大卒の才媛なことが証拠です」(実際はもっとひどいことが書いてあった)と、文書で否定。

www.sankei.com

「保育園落ちた死ね」ブログをめぐって、「(子どもを)産んだあなたの責任」という旨の発言。

 

「女性蔑視だ!」と騒がれているけれど、過激に見える発言を切り取られてしまっているから、必要以上に責められているようだ。きちんと精査して読むと、大西議員の発言は、ちょっとしたウケ狙いだったんだろうし、山田氏は保育園問題について、母親の責任を問いたかったわけではなく、保育園落ちたブログを野党批判のための材料にしたかっただけみたいだとわかる。(長崎議員は、ただただひどかったけど、自分の評価を落としたくない一心なんだろう)。でも、たとえ意識的に女性を傷つけようとしたわけじゃないとしても、どこかで「女には偉そうにしてもいい」と思っているから、こういう言葉になって出てくるんじゃなかろうか。

おっさんが謎だと思うのは、どうして言葉の選び方をもうちょっと、考えられないのかなあということ。男女差別の問題において、言葉はとってもセンシティブだ。たとえば「看護婦」じゃなくて「看護師」、「スチュワーデス」じゃなくて「キャビンアテンダント」、ついには「ビジネスマン」じゃなくて「ビジネスパーソン」。呼称の変更は男女差別が直接的な原因じゃないけれど、言葉が与えるイメージはやはり大きい。女性特有の呼称が、ジェンダーによる差別を助長していた可能性はある。

仮にも政治に関わる人たちなのだから、それくらいは配慮してほしいものである。心のなかでどんなに女をバカにしていても構わないから、せめて自分の発言くらいには気を遣ったほうがいい。そのひとことで、踏みにじられる女性だっているんだから。私もね、心のなかではすさまじくおっさんを蔑視してる。でも、なるべく紳士的な言葉で綴っているでしょう?

 

個人的な意見だけれど、日本のおっさんの多くが「女には偉そうにしてもいい」と思っているような気がする。というかおっさんはみんな「おっさんは偉そうにしてもいい」と思っているんじゃなかろうか。

news.livedoor.com

だからこういうことを言っちゃうんだろうな。

 

でもおっさんが偉そうにしちゃうのはしょうがないことなのかもしれない。だって、たぶん、おっさんたちが若者だったころのおっさんたちは、きっともっと過激で偉そうな発言を平気でしていただろうから。偉そうなおっさんたちの背中を見続け、ようやく自分が偉そうにできる番だと思ったら、そこにはインターネットがあった。

たぶん、10年前なら「巫女のくせに」も「ソープは不潔」も「産んだのはお前」も、ここまで大きな話題にならなかったと思う。簡単に情報発信できる時代になったいま、たったひとことの失言が一気に日本中に広まる。でも、インターネットの影響力をきちんと理解できていないおっさんたちは、まさかこんな事態になるとは思わずに偉そうなことを言っちゃったんだよね?

おっさんの心ない発言は女性の気持ちを踏みにじる。でもそれを厳しく批判されることで、図太い神経を持ったおっさんたちも、自分の発言を悔い心を痛めているはず。こんな悲しい連鎖を断ち切るために、おっさんたちにはそろそろ口をつぐんでもらいたい。「おっさんは偉そうにしてもいい」という考えを変えるのは、おっさんになったいまとなっては難しいはずだから。心のなかでどんなに偉そうにしてもいいから、とにかく寡黙であれ。

 

偉そうなこと言うだけのおっさんより、背中で語るおっさんの方がずっとカッコいいぞ。

今年度の新卒フリーランスはファーストペンギンになりうるか

新年度が始まって、10日あまりが過ぎた。今年度から、新卒フリーランスとして働き始めた人たちは、どう過ごしているだろうか。

 

彼らと同い年のころ、私は"自分のやりたいこと"なんて、まったく見つかっていなかった。就職活動中も、自分が社会に出るなんて実感も覚悟もなくて、惰性で日々を過ごしていた。それに引き換え、12月1日*1になったとたん、人が変わったかのように自己分析だ業界研究だなんだ言い出した同級生に違和感と気持ち悪さを感じていた。でも、卒業が間近に迫っているなかで「就活しない」という選択肢はない。しぶしぶ説明会やら面接やらに足を運んだ。

結局、就活はぜんぜんうまくいかなかったし、心から入りたいと思える会社には出会えなかった。それでも、ただ流されるままに内定を決めた。最終的に「やっぱ、やめた!」と言って逃げ出したんだけれど。だから、大学を卒業するまでに"自分のやりたいこと"をきちんと見つけて、しかもそれで食べていけるくらいの実績を積んでいることは、心から「すごい」と思う。さらに「自分はこれをやりたいから就職しない」と声を大にして言えるところも、年下なのにこんなにしっかりしているなんて……と、自分の未熟さに呆れる。

自分がフリーランスで働いているせいもあるけれど、彼らのような存在はぜひ応援したいと思う。私の力など微々たるものだけれど、せめてブログのPVくらいには貢献したい。

 

働き方が多様化していくのは、単純にいいことだと思う。選択肢が増えれば、誰もが自分に合った働き方ができるはずだから。とはいえ、新卒フリーランスという働き方が一般的ではないのはたしかだ。そもそも、お年を召した世代の方々なんて「フリーランス」という言葉の定義すら知らないのではないか。

そして、新卒フリーランスという道は明らかにハイリスクだと思う。まず、フリーランスという働き方は、基本的に失敗が許されない。企業がこれから一人前に育てていくことを見越して採用する新卒の新入社員と違って、フリーランスは即戦力でなければ意味がないし、期待されている成果を上げなければ契約を切られるなんてザラだ。それでも、フリーランスで生計を立てていくなら、どこかの企業と契約して「お仕事」をいただかなければならない。

新卒の新入社員なら、失敗しても経験のひとつだと容認される一方、新卒フリーランスは、期待していたより「おもしろくない」「結果につながらない」と判断されたら使ってもらえなくなる。22歳やそこらで、そんなシビアな世界で生きていかなければならないのは、なかなかしんどいことだと思う。しかも、失敗できないと思うとどうしても手堅くなりがちだ。失敗から多くを学ぶということは往々にしてあるので、新卒で企業に入社した同期たちが、なんだかんだ会社が尻拭いをしてくれる環境のなかで挑戦を繰り返した結果、10年後には大きく差がついていたということにもなりかねない。

そして、個人のスキルや能力にかかわらず、新卒はたいてい「使えない」。どんなに優秀な人でも、仕事の段取りの仕方とか、問題が起こったときの対処法とか、そういう引き出しがまったくもって皆無だからだ。企業に入れば、先輩やら上司やらが指導してくれるけれど、フリーランスだとそれは難しい。対等な関係で契約している以上、仕事をいただいている企業や人から、何かを教わることを期待してはいけない。教える必要があるなら、わざわざフリーランスは使わない。

 

でも、ハイリスクな世界に率先して飛び込むファーストペンギン*2は、それだけ大きな利益を得るという。単に収入の面だけで考えれば、一定の年代まではフリーランスの方が有利かもしれない。とはいえ、リスクに見合うだけのリターンを得るには、フリーランスの主たる財源であるスモールビジネスだけでは立ち行かない。

新卒フリーランスがこれからどうやって活躍していくのか、社会人経験たった3年でフリーランスになった私にとっては、自戒もこめて目が離せない。

*1:2013年卒の就活解禁は12月だった

*2:群れで行動するペンギンのなかで最初に海に飛び込む一羽になぞらえ、未開拓の領域に挑戦する投資家や起業家のに対して使われる

ポエム期の自意識の気持ち悪さは異常

私の人生には、たまにポエム期が訪れる。

ポエム期は、うつ期の亜種みたいなもので、とにかく気持ち悪いポエムを毎日量産してしまう時期のことだ。

ちょうど、前回のポエム期(2年前くらい)に更新していたブログを久しぶりに見てみたら、その気持ち悪さに驚いた。とりあえず、自意識がすごい。パンパンに膨れ上がっている。

実は、ポエム期が終わったころに、恥ずかしくなってすべて非公開にしたのだが、いまになって読み返してみると、気持ち悪すぎてむしろ笑えると思い、ふたたび公開してみた。完全に血迷っている。

ここで読めるよ)

前々回のポエム期には、ツイッターに鬱イート(鬱なツイートのこと)を垂れ流していたんだけど、アカウントを削除してしまったことが悔やまれる。大学生のファッションメンヘラのポエムなんて、気持ち悪すぎておもしろいに決まってるのに!

 

せっかくだから、特に気持ち悪いポエムをいくつか載せておく。いろいろな方面からドン引きされそうだけど、まあ気にしない。めちゃくちゃ気持ち悪いけど、実際に自分が感じていたことだから。めちゃくちゃ気持ち悪いけど。

ごめんなさい

ごめんなさい

と繰り返しながら

高層ビルの陰を逃げるように歩いた。

……なにがあったの?

指名手配犯の手記みたいなテンションだけど、「ごめんなさい」の理由は、たぶん彼氏とケンカしたとか、親に怒られたとか、そんなもん。

孤独を飼い慣らしすぎて、手放すことができなくなった。

孤独を飼い慣らすってなに? は? キモい、キモすぎる。自分で自分に引く。イタい。そんなもん飼うくらいなら、保健所の犬や猫を引き取るべき。

ちょっと思いつめて

スクランブル交差点で号泣するような

246の歩道橋で大声を出すような

そんな映画みたいな人生がいい。

たぶん、生まれるところからやりなおした方がいい。誰もがみんな、それぞれの人生の主役なんだ! そのままだって、映画なんかよりよっぽど面白いんだぞ!

スクランブル交差点で号泣するのも、246の歩道橋で大声を出すのも迷惑だからやめてください。

 

死にたくなるほど、気持ち悪くて恥ずかしい。恐ろしいのは、もしかしたらこのブログも、何年後かに読んだとき、吐き気をもよおしてしまうのではないかということ。ちなみに、過去の経験から、なるべく気持ち悪くならないように気をつけているつもりではある。

そして、もう二度と、私の人生にポエム期が訪れないことを願うばかりだ。

カッコいいは疲れる、カワイイは作れる

http://tkj.jp/magazine/data/sweet/201603/img/cover_007_201603_ll.jpg

出典:2016年3月号|sweet(スウィート)│宝島社の女性ファッション誌

ニッポンに「カワイイ」が戻ってきた……らしい。

日本一(かどうかは知らないけど)のファッションECをつくった男と付き合ってるサエコが言ってるんだから間違いないだろう。(実際は、サエコが表紙の雑誌に書いてあっただけ)

たしかにここ数年、女子のトレンドは「カッコいい」全盛期だった気がする。

数年前までずっと「カワイイは正義」って言われてきたのに、徐々に「カッコいい」が幅を利かせてきて、いまや「カッコいいが最高の褒め言葉」ってとこまできてる。

でも、もしかしたらそれは当然のことだったのかもしれない。「カワイイ」という言葉の汎用性が高くなりすぎて、ダサくても、キモくても、もはやなんでもかんでも「カワイイ」と言われるんだもの。

だから、「カワイイ」と言われることに価値がなくなってしまったのではないだろうか。

ところで、「カッコいい」という言葉には、センスがいいとか、仕事がデキるとか、そういう意味が含まれている気がする。ただ、好きな服を着ているだけではいけなくなってしまった。

「カッコいい」と言われるには、着る服だけじゃなく、どんなものを部屋に飾るか、どんなところでご飯を食べるか、どんなふうに仕事をしているか……。いわゆる「ライフスタイル」全般に気を配らなければならない。

しかも、誰かの真似をするのは「カッコよくなく」て、「自分らしさ」がないとダメらしい。自分で自分の好きなものを選びとった結果、こんなにオシャレなライフスタイルになった……というのが「カッコいい」のだ。

でも、自分の好きなものが、みんなが思う「カッコいい」にハマらなかった場合、それは「カッコよくない」し、「ダサい」と言われてしまう。だから結局、自分が本当にいいと思ったものを選び取れなくなってしまった。

そう思うと「カワイイ」はもっと寛容だった。どんなものでも、自分の「好き」を許してくれる懐の深さがあった。しかも「カワイイは作れる」のだ。

「カッコいい」を追い求めるのは、とても、疲れる。本当にニッポンに「カワイイ」が戻ってくるのなら、私は全面的に支持したいと思う。

 

ババロア王子と私のバレンタインの記録

http://data.whicdn.com/images/150788705/large.jpg

画像出典:Weheartit

今週のお題「バレンタインデー」

バレンタインデーに、初めて男の子にお菓子を作ったのは高校2年生のとき。

小学生のころから過激なフェミニストだった私は、男のためにお菓子作りをするなんて「けしからん」ことだと思っていた。

そんな信条が崩れ去ったのは、なんのことはない、当時の彼氏がめちゃくちゃ好きだったからである。

彼はチョコレートが食べられないという特異な人で、リクエストされたのはプリンとババロアというこれまた変わったメニューだった。

プリンはまだ、なんとなくいけそうな予感がしたけど、正直、ババロアに関しては、一体どんな代物なのか想像もつかなかった。たぶんババロアって言葉を口にしたの人生で3回目くらいだったと思う。

かくして、ほとんど生まれて初めてくらいのレベルでキッチンに立ち、プリンとババロアを作った。奇跡的に、家庭科の調理実習でヨーグルトババロアを作った後だったので、レシピはそのまま転用させていただいた。

出来は上々。いや、かなりおいしかった。(レシピどおりに作ることが何より大切だって学んだよ)肝心の彼の反応もよくて、私はとても満ち足りた気持ちになった。

結果、わたしのなかのフェミニズムは終焉を迎えた。過激派フェミニストも、イケメンの前では無力だったのである。完敗。

でも、そんな彼とは、二回目のバレンタインを迎えることなくお別れしてしまった。(めっちゃ泣いた)

そして月日がめぐって、5年後の2014年のバレンタイン。

なんと、またあのババロア王子にお菓子を献上することになった。(よりを戻した)

しかし、そのとき、彼はもはやババロア王子ではなかった。なんか、チョコ、食べられるようになってた。むしろ好きとか言ってた。

おいおい、この5年の間に何があったんだよ!

結局、その年は私が多忙すぎて(卒業公演の稽古の真っ最中だった)、市販のやつで済ませてしまったのだが。(ちなみにすごい不評だった)

市販のじゃやっぱり、がっかりさせてしまったようなので、次の年は汚名返上のために久しぶりにキッチンに立った。

しかし、私のお菓子作りのレパートリーはまったくもって変わっていなかったので、結局またもやプリンとババロア(まあまあ好評だった)

そして、2016年、性懲りもなく、今年もババロア作るぞー!って息巻いてたら(ここへ来てババロアへの一本化を検討した理由は、プリンのカラメルソースを作るのが苦手だからである)、「チョコを溶かしてくまの型にいれて固めたやつでいい」とのことだったので、大人になるって、どんどん欲がなくなっていくことなのかなーとしみじみ思った。

17歳だったババロア王子は、もう、溶かして固めたチョコでいい25歳の大人の男なのだ。

2.5次元俳優の素晴らしさについて語るから聞いてくれ

世界には2.5次元という次元が存在している。

定義は諸説あるが、最近ではとくにアニメ作品やゲーム作品を舞台化したものを指す。 

そして、私は、この2.5次元舞台に多く出演している俳優が大大大好き。

そこで、誰に頼まれたわけでもないけど、2.5次元俳優の素晴らしさを語ろうと思う。

TLがオタク

ふつう、世間では、「イケメン=リア充」「オタク=非リア」と定義されている。そして、リア充と非リアの世界の間には、それはそれはとてつもなく大きな壁があり、決して交わることはないとされてきた。

言うまでもないが、2.5次元俳優はイケメンである。まごうことなく、イケメンである。だから、本来、非リアなオタクの世界に足を踏み入れることはないはずの人たちである。

でも、2.5次元俳優は、違うのだ。

なんと、彼らのツイッターのTLやブログは、完全にオタクのそれと同じなのである。いまだかつて、こんな奇跡的な融合があっただろうか。いや、ない。(反語)

イケメンのTLに、アニメグッズの写真が流れている奇跡。なんなら一緒に写っちゃってる幸福。そしてキャラの名前やセリフを頻繁につぶやいている崇高……。ありがたや、ありがたや。

もちろん、イケメンのオタクだって、きっと、どこかにいる。でもね、2.5次元俳優レベルのイケメンで、オタクな一面をおおっぴらにしてる人なんて、そんじょそこらにはいないんじゃないかと思うの。

せいぜい、ワンピース全巻持ってるーとか、ハンターハンター早く続き読みてえーとかそんなもんでしょ?

一般人のイケメンで、TLにキャラソンのCDとか、アニメキャラのラバストとかの写真載せてる人いる? いるなら教えてほしい。全力でフォローしたい。

ただ、2.5次元俳優が、一般人男性より、オタク文化に理解があるのは当たり前のこと。そりゃ、自分が演じる役なんだから最低限のことは調べるさ。

それに、もしかしたら、そういうのはすべてファンサービスで、心の底では「アニメとかキモい」「オタクとかありえない」と思ってるのかもしれない。(たぶん、そんなことはないんだけど)

それでも、自分の好きな作品について、イケメンとけっこうコアな話題で盛り上がれるっていうのは、本当に素晴らしいことだと思う。(いや、そんな機会はたぶんないんですけど)

※ わかる人にはわかる「けっこうコアな話題」の具体例:「中学でこてんぱんに負けた相手が、高校でチームメイトになった彼の心の葛藤ってすさまじいものがあったと思う」「あの眼帯は政宗公リスペクトなだけ? それともやっぱり火傷の跡が……」などなど

イケメンとオタク文化の融合、すごい、奇跡。

実生活でもなりきってくれる

そして、2.5次元俳優は、舞台の上だけでなく実生活のなかでも、自分が演じるキャラになりきってくれる。

前述したように、TLにセリフをつぶやくのはもちろん、口グセを真似してみたり、似たテンションで話してみたり。

まるで、本当に、自分の大好きなキャラが、そこで生きているんじゃないかという錯覚に陥ることができる。

しかもね、2.5次元舞台の特長でもあるんだけど、ビジュアルの作りこみがすごいわけ。衣装、カツラ、メイクの力で、かなり忠実にキャラの見た目が再現されてるわけ。

そこに、彼らがなりきってくれた発言を重ねあわせると、もうもはやこれ錯覚じゃないんじゃないかと。ほぼ真実なんじゃないかと、思ってしまうわけで。

次元を飛び越えてくる2.5次元俳優。ほんと、尊い

腐女子にやさしい

2.5次元にハマる層とBLにハマる層(いわゆる腐女子)は、だいぶかぶっていると思う、体感的に。 

そのせいもあってか、2.5次元俳優は腐女子サービスが半端ない。そのつもりでやってるだろうとしか思えないアドリブをちょいちょいはさんでくる。(人気のカップリングは特に)

さらに、舞台を下りても、やたらツーショット上げてたり、やたらTLで絡んでたり、やたら名前呼び合ってたり……殺しにかかってきてるとしか思えない。

「こういうのが好きなんでしょ?」って思ってやってる感は否めないけど、それでも、一般的なイケメンには「腐女子キモい」か「腐女子ってなに?」と、拒絶されるかそもそも存在を認識されていないかでしかないわたしたちに、素晴らしい萌えを提供してくださるのは本当にありがたいことなのだ。あっぱれ。

2.5次元俳優は素晴らしい

イケメンというだけで、生まれてきてくれてありがとう!状態なのに、そこにオタク要素、キャラのイメージ、腐女子への優しさが合わさることで、最強の生命体になる2.5次元俳優。

素晴らしすぎて、もはや祈りを捧げたいレベル。アーメン。

ToDoリストってハイパーストレスじゃないですか?

https://images.unsplash.com/photo-1430165558479-de3cf8cf1478?ixlib=rb-0.3.5&q=80&fm=jpg&crop=entropy&s=a8d560cd877f002980248703b48efff0

効率よく仕事するために、ToDoリストは欠かせないらしい。

でも、あれってストレスじゃないですか?

いや、たぶん、普通の人はその方が仕事がはかどるんだろうなっていうのはわかるんです。

わかるんですけど、やらなきゃいけないことが可視化されるって、わたしにとってはすっごいストレス。

「わー、今日こんなにやることある……死にたい」

「一つひとつチェックしてくのめんどくさい……死にたい」

って。すみません、マンボウメンタルなんで、すぐ死にたくなるんです。

netgeek.biz

なんていうか、ToDoリストって管理されてる感じが、ダメ。

(こんなこと書くと、自己管理できないって思われて仕事なくなっちゃうかな……怖い)

っていうか、その日やるべきことくらい、わざわざ書き出さなくても、頭の中で管理できない?

いや、まあ、わたしができてるかは別として……。

「やること」じゃなくて「やったこと」を書き出す

ToDoリストみたいな、きちきちしたのは嫌いですが、そんなわたしも、まったく自己管理してないわけじゃありません。(と、言い訳しておく)

わたしは、基本的に「やること」じゃなくて「やったこと」を書き出すようにしています。

頭のなかにある「これやらなきゃなー」ってことと、実際にやったことを可視化して照らし合わせることで、一応管理はできてるかな、と思います。

それと「今日はこれだけ仕事したぞー!」って達成感が味わえるので、精神衛生上とてもいいです。

人に指示されたことは忘れる → 手に書く

ただ、やったこと書き出す方式だと、人に指示されたことはもれなく忘れるという弊害が出てきます。

たぶん、人に指図されるのが苦手なので、嫌なことを忘れようとする本能が働いてるんだと思うんですよね。

(それ、社会人としてどうなのっていうのは、よくよくわかっております……)

こういうとき、ToDoリストって役立つのかもしれないです。

でも、ぶっちゃけ書いといたところで見ない。

だから「これはまじで忘れたらやばいやつ!」ってときは、手に書きます。

これなら、否が応でも目に入るので。

マンボウメンタルは無理しない

普通にできない人が、普通の人と同じようにしようと無理すると、どこかにひずみが出ちゃうと思うんです。

(そのせいで、わたしは、最近体調を崩しました)

だから、普通の人が仕事を効率よくするために作るToDoリストも、むしろ逆効果。

でも、やったこと書いてくのは、ひとつずつ積み上げてく達成感があって、なかなかいい感じです。

マンボウメンタルの仕事術として、おすすめです。

どくとるマンボウ青春記

どくとるマンボウ青春記